《サッカー五輪代表から消えた天才》悲劇は小野伸二や小倉隆史の大ケガだけでなく、少なすぎ18人枠で…名パサーや守護神「逸材の落選後」
シドニーで外れたのは小野以外も豪華だった
【2000年:シドニー五輪】 〈シドニー五輪代表メンバー〉 GK:楢﨑正剛※、都筑龍太 DF:中澤佑二、松田直樹、森岡隆三※、宮本恒靖、中田浩二 MF:稲本潤一、中田英寿、明神智和、中村俊輔、三浦淳宏※、酒井友之、本山雅志、西紀寛 FW:平瀬智行、柳沢敦、高原直泰 ※オーバーエイジ バックアップメンバー:曽ケ端準、山口智、遠藤保仁、吉原宏太 〈代表漏れした主な選手〉 戸田和幸、市川大祐、小笠原満男、小野伸二 1998年、A代表と五輪代表の兼任スタイルでトルシエ体制がスタートした。監督はすでにワールドユース出場を決めていたU-20代表にも目をつけ、99年ナイジェリア大会で指揮を執って準優勝。ここから稲本潤一や本山雅志、高原直泰ら“黄金世代”を五輪代表に多く抜擢した。 とはいえ、彼らの上の世代が人材不足だったわけではない。 それどころか、当時ローマ所属の中田英や松田は飛び級で前回五輪を戦い、中田はすでに98年W杯を経験。宮本恒靖や中村俊輔、明神智和、柳沢敦らも97年マレーシア大会でベスト8に進出していた。日本が力を入れてきたアンダー世代の強化育成が実るかたちで、“世界”にコンプレックスを持たない五輪世代が誕生した。 実際、A代表と遜色ない豪華な構成となった五輪代表は、アジア予選を12戦全勝(66得点)で突破。本大会でもメキシコ大会以来となる32年ぶりの決勝トーナメント進出を果たす。もちろん、2年後の日韓W杯にも多くの選手が出場した。
小野のケガを知ったトルシエは「とても悲しかった」
これだけ人材豊富な世代にオーバーエイジ(楢崎、森岡、三浦)も加えた。それだけに日韓W杯メンバーの23人よりさらに絞られる、18人枠からこぼれた選手のなかにも逸材がゴロゴロしていた。 なんといっても筆頭は小野伸二である。 ワールドユースより先にW杯デビューした天才は、99年アジア1次予選のフィリピン戦で負傷し、五輪出場を断念せざるを得なかった。キャリアを左右するほどの大怪我だったが、復帰後に海外移籍も果たし、日韓W杯、アテネ五輪、ドイツW杯と世界大会への出場を重ねていく。 とはいえ、野心に燃える指揮官にとってワールドユースでも絶大な信頼を寄せた小野を五輪で欠くという事実は、大きな痛手だった。 今年行ったNumberWebのインタビューで、トルシエはこのアクシデントをコパ・アメリカ開催地のパラグアイで知ったと振り返っていた。 「話を聞いたときはとても悲しかった。私にとって小野は絶対的に必要な選手であり、五輪予選において欠くことのできない選手だった」
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