《サッカー五輪代表から消えた天才》悲劇は小野伸二や小倉隆史の大ケガだけでなく、少なすぎ18人枠で…名パサーや守護神「逸材の落選後」
五輪後に成長したのは中田や城、川口だけでない
こうして世界に挑み、2勝を挙げたチームに対し、スペインのセビージャが前園の獲得に動いた。だが、これが頓挫すると彼のキャリアは急激に暗転してしまう。 その一方で、中田や城、川口らアトランタの精鋭18人中5人が、日本代表としてフランスに行った。 もっとも、W杯出場を果たしたアトランタ世代は彼らだけではなかった。五輪代表の結束力や連係を重視した西野監督は、新設のオーバーエイジ枠すら採用しないほど、メンバーの入れ替えを好まなかった。そのため選に漏れた選手にも、後に輝く好素材が少なくなかったのだ。
万能DF、強烈レフティ、現日本代表コーチも落選組だった
例えば、最終予選前に落選した中西永輔。守備の万能選手は、五輪翌年に加茂周監督の招集を受け、サイドバックとしてA代表デビュー。岡田武史監督の元ではストッパーとしてフランスW杯のアルゼンチン戦、クロアチア戦に先発した。クラウディオ・ロペスを封じつつ、攻撃でも見せ場をつくったアルゼンチン戦のパフォーマンスはとりわけ秀逸だった。 五輪を経由せず初の「W杯日本代表」の肩書を得たのは齊藤俊秀、平野孝もそうだった。 五輪代表では候補止まりだった左利きのアタッカー平野はベンゲル時代の黄金期を支え、中西と同じ97年にA代表入り。フランスの大舞台に立つチャンスを掴んだ。齊藤は96年夏こそ清水の同僚3人(伊東、白井、松原)を見送る形となったが、この年のJリーグでブレイクし、新人賞とニューヒーロー賞をダブル受賞。中西や平野よりひと足早くA代表入りした。 なお齊藤は現日本代表のコーチを務めている。川口も東京五輪世代の日本代表や磐田のGKコーチを歴任するなど、40代後半となった現在は指導者やクラブの要職にある人物も増えた。
オーバーエイジでシドニー出場の楢崎が語ったこと
アトランタを逃したものの、後にオーバーエイジとして五輪に出た選手もいる。三浦淳宏と森岡隆三、そして楢崎。三浦はすでにA代表候補ながら同ポジションの路木龍次に及ばず、95年カタール組の森岡も年長世代に食い込むことはできず落選した。1つ歳上の川口と下田崇の牙城を崩せなかった楢崎を含め、3人はフランスW杯後に発足したトルシエジャパンの重要な戦力となり、次のシドニー五輪で抜擢されたのだった。 楢崎は2016年、Numberのインタビューでこのように語っている。 「オリンピックはプラスになることばかりなんでしょうね。いや、そうしないといけない」 当時の日本代表選手にとって、五輪はキャリアの中でとても大きな位置づけだったことがわかる。 なお、当時は五輪代表に縁のなかった鈴木隆行や西澤明訓、福西崇史らも76年生まれのアトランタ世代。98年フランス大会は逃したが、02年日韓大会でW杯メンバーとなる。
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