「山一証券破たんの調査をやってくれませんか」なぜ“ミンボー専門”のマチベンだった42歳の弁護士が、前例のない調査を引き受けたのか 今だから明かせる「報告書」をめぐる舞台裏ー平成事件史(17)戦後最大の経営破たん
「多分このまま損失を持ち続けていたら、いつか『神風が吹いて』株価が回復して、どうにかなるだろうと思っていたのではないか。けれども現実を直視したくない、今さら手をつけることもできないと。 一つ大きかったのは1回目の会議のあとの1991年9月、証券スキャンダルで参議院の証人喚問に呼ばれた行平会長(当時)が『これ以上の問題のある取引はありません』と証言してしまったこと。 この『行平証言』によって、今さら『簿外債務』について公表できなくなった。重たいものを抱えることになったが、打つ手がないという状態になった。『先送り』するしかなかった。少なくとも『簿外債務』を楽観視していたとは思いませんが、国会で『これ以上はない』と言った以上、やばいと思っても公表することはできなかった。 ただ、まだこの段階だったら、すべてをさらけ出して、非常に痛みを伴う処理にはなったとは思うが、まだ助かる余地はあったのではないでしょうか。これは、たらればの話ですが」(国広) 調査委員がヒアリングを進める中、実は監督官庁の大蔵省が、山一証券の「飛ばし」や「債務隠し」を知っていたのでないか、あるいは見過ごしていたのではという疑惑が浮上していた。国広たち調査チームは次第に大蔵省の関与についても、調査報告書に盛り込むべきだと考えはじめた。 (つづく) TBSテレビ情報制作局兼報道局 「THE TIME,」プロデューサー 岩花 光 ■参考文献 山一証券「社内調査報告書」社内調査委員会、1998年 国広正「修羅場の経営責任」文藝春秋、2011年 清武英利「しんがり 山一證券最後の12人」講談社、2015年 読売新聞社会部「会長はなぜ自殺したか」新潮社、2000年
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