「山一証券破たんの調査をやってくれませんか」なぜ“ミンボー専門”のマチベンだった42歳の弁護士が、前例のない調査を引き受けたのか 今だから明かせる「報告書」をめぐる舞台裏ー平成事件史(17)戦後最大の経営破たん
「褒められるのか、けなされるのか、世の中的に評価されるかどうかは、全然わからなかった。ただ我々は全力を尽くして、やれるだけのことはやったよなという気持ちで臨んだ。 これで叩かれたら、我々の力がなかったんだからしょうがないという、覚悟というか、腹は座っていたんです。 嘉本委員長がまん中、隣の黄色いネクタイの男性(写真参照)がわたしです。おもに2人で答えていたと思います。 余談ですが、記者会見が始まる前の昼ニュースで、NHKが報告書をすっぱ抜いた。もともとNHKは、当日夜の『クロ現』で特集する予定になってたんです。でも事前に報告書の内容を見た上層部が『これはすごい』と驚いて、『どうしても会見前に報道したい』と頼み込んできた。そんなことしたら、他のメディアも怒るだろうし、何度も断ったんですが、最終的には委員長が決断して前日の夜にOKしたんです」(国広) 会見で配布された「調査報告書」には、隠ぺいに関わった経営陣や幹部が実名で記されていた。メディアの予想を裏切る生々しい内容だった。テレビは夕方のトップニュースで伝え、翌日の朝刊各紙も一面トップで大きく報じた。とくに日経金融新聞は報告書の「全文」を掲載した。そして、日経新聞本紙は記事のなかで、『歴史に残る報告書』と最大限の評価をしたのであった。 ■繰り返された「問題先送り」 「調査報告書」でまず目を引いたのは、経営陣が1991年に「隠ぺいを決めた」経緯だった。とくに法人向けに強かった山一は、「営業特金」と呼ばれる手法で利回りを保証して企業から資金を集めた。しかし、株価下落で含み損が拡大し、「約2600億円」という「簿外債務」を発生させた。 では経営陣がどうやって「簿外債務」隠し続けたのか、報告書はその核心に迫っていた。 経営破たんの原因につながったのは、いわゆる「にぎり」と「飛ばし」という手法だった。 「にぎり」とは大口の顧客にあらかじめ、一定の「利回りを保証」をするものだ。株価が上がり続ける限りは、双方に利益をもたらすが、株価が下落しはじめると、顧客の株式は多額の「含み損」を抱えることになる。