32歳、専業主婦から「町工場の2代目」へ。50代になった今振り返る“感謝と戦いの日々”【諏訪貴子さん】
社長だけど「ビジネス書」はあえて読まない
――ちなみに、諏訪さんが専業主婦から社長になられたとき、経営論だったり、ビジネス書などもたくさん読まれたのでしょうか。 諏訪:ビジネス書はね、あえて読むのを避けたんです。 ――えっ、それはなぜですか? 諏訪:なんとなく、自分を型にはめたくなかったんです。だって、私が従業員のみんなに伝えたことが誰かの言葉だったとしたら、その人の言葉を盗んだことになってしまうから。私が考えたことは、私自身の言葉で伝えたくて。それに、世の中には優秀な経営者がたくさんいるけれど、この小さな「ダイヤ精機」という町工場の社長に一番ふさわしいのは私だという自信がある。それだけ会社のことを知ろうと努力してきましたし、実際に会社のことを誰よりも知っているという自負もあります。だからあえて、他の経営者の本は読みませんでした。 ――諏訪さん自身は社長として、どんなことを大切にしていますか。 諏訪:自分が嫌だと思うことを、人にしてはいけない。逆に、人からされて嬉しかったことは、他の人にもしてあげたい。一番はこれですね。ダイヤ精機で働いてくれているみんなには、嫌な思いをしながら仕事をしてほしくないんです。だから、一人ひとりをよく見て働きやすい環境を作ることを目指してきましたし、会社の慣習や規則を変えることもしてきました。私は、お互いがどういう考えを持っているのか、どういう家族構成なのか、そういった背景も含めて従業員を知ることで、いい環境づくりができると信じているんです。 私が子どもの頃から見てきたのは、笑顔があって、ワイワイガヤガヤした雰囲気の「ダイヤ精機」です。そんな昔ながらの町工場に、少しでも近づけたらいいなと思っています。 撮影/小野さやか 取材・文/金澤英恵
諏訪 貴子