パリ五輪開幕直前に異例の紛糾…負傷で面会謝絶のJOC山下会長の後任候補にあがる「女性メダリスト」
7月5日、東京都内でパリ五輪選手団の結団式が行われた。開幕を26日に控え、日本代表選手の発表やメダル獲得を期待する報道が増えてきた中、オリンピックを目指す選手たちの統括団体の会議で、異例の紛糾が起きていた。 JOC山下会長の後任として有力視される2人の女性メダリスト 6月27日に開かれた日本オリンピック委員会(JOC)の評議員会。例年ならシナリオ通りに“シャンシャン”で終わるはずだが、会議の出席者から、執行部を追及する意見が出され緊迫感に包まれたという。 「情報をとれず、招致を逃した責任はどこにあり、どう取るのか」 議題は、札幌五輪の招致撤退に追い込まれたことに対して検証がなされていないという指摘と責任追及だった。 昨年10月に転倒して頸椎を損傷、いまだに公務に復帰できない山下泰裕会長(67)に代わって答弁に立った尾縣貢専務理事(65)は問題点をはぐらかすのがやっとだった。 「将来的な国際総合大会招致の可能性を探るため、9月に委員会を設置する」 招致活動撤退の一因は札幌市民から支持されなかったこともあったが、それ以上に、山下会長が国際オリンピック委員会(IOC)委員でありながら、「’30年と’34年開催都市を同時に決める」というトーマス・バッハIOC会長(70)の意向を把握していなかったことが失態の決定打となってしまったのだ。 もともとJOCは、’30年の札幌招致を狙っていた。しかし東京五輪汚職による世論の反発を避けるため、事態が沈静化しているであろう4年後の’34年の開催にシフトしつつあった。 そんな中、IOCが’30年と’34年の五輪開催地を同時に決定するという可能性が浮上。札幌招致に向けて本来であればJOCが一気にアクションを起こさなければならない状況だった。だが、山下会長は楽観視する姿勢を崩さなかった。 実際、’23年10月11日、秋元克広札幌市長とともに記者会見に臨んだ山下会長は’30年と’34年の冬季大会の開催地が同時決定されることについて「そういう情報もあるが可能性は低い」と予想を語っていた。しかしその予想はわずか3日後、大きく外れることになる。同年10月14日にインド・ムンバイにて開かれたIOC総会で2大会を同時に決める方針が発表され、結局、’30年はフランス、’34年はアメリカ・ソルトレークシティで一本化された。IOCやソルトレークシティーなどのライバル都市の動きをまったく把握できていないまま、札幌招致の可能性は消滅した。