分譲開始から37年後にイオンが…千葉県佐倉市のニュータウン「ユーカリが丘」はなぜオールドタウン化しないのか?
高度経済成長を背景に都市部郊外で開発されたニュータウン。開発から50年近くが経ち、ニュータウンのオールドタウン化が深刻な課題になっているケースも珍しくないようだ。そんな中、デベロッパーによる異例の戦略でいまも持続可能な成長を続けているニュータウンがあるという。30年以上にわたり業界に身を置く不動産のプロが、その成長の謎を読み解く。 【写真】敷設当時、運輸省が難色を示したというニュータウンの「ユーカリが丘線」 ※本稿は『家が買えない』(牧野知弘著、ハヤカワ新書)より一部抜粋・再編集したものです。 (牧野 知弘:オラガ総研代表、不動産事業プロデューサー) ■ なぜ「ユーカリが丘」はオールドタウン化しないのか? 本書で解説しているように、1970年代に建設された都市部郊外のニュータウンの多くは、一代限りの街となり活力を失っていく状況に陥っているが、なかには奇跡的に今でも成長を遂げている街もある。千葉県佐倉市にある「ユーカリが丘」だ。 ユーカリが丘住宅地は1971年に、デベロッパーの山万(やままん)によって開発が始められた。山万という会社は、大阪の繊維問屋から1964年に東京に本社を移転したあと、住宅開発分譲業に進出したという変わり種のデベロッパーだ。 山万が1979年から分譲をスタートさせたユーカリが丘は、その開発手法のユニークさにより、今に続く成功につながっている。多くの自治体や民間宅地開発業者は、開発して分譲したら終わりの「売り切り」型のビジネスモデルとなっているのに対し、山万は「成長管理」型とでも言うべきビジネスモデルを構築したのだ。
■ 山万のユニークな開発戦略とは? 山万は一斉に開発を進めずに、常にその後の開発余地を残しておきながら、長期にわたって住宅を少しずつ開発・分譲してきた。新規住宅分譲は年間200戸程度に抑え、分譲地全体の年齢構成や街の発展の度合いに目を配りながら、街そのものの運営をしていくスタイルだ。 こうして毎年少しずつ、宅地分譲、戸建て分譲にマンション分譲を組み合わせて計画的に街づくりを進めてきた結果、この街の人口は年々増加し、今では人口1万8943人、8100世帯(2024年4月時点)を擁する一大タウンに成長している。分譲終了から数年が人口のピークで、以降は衰退の一途をたどる他のニュータウンとは異なり、ユーカリが丘は持続可能性を持つ驚異のニュータウンなのだ。 ■ 2016年にはイオンタウンが新たにオープン 分譲開始から40年近く経った2016年6月にイオンタウンが新たにオープンしていることも、この街の持続的な成長を示す証拠だ。年齢構成としても、エリア内の子ども(0歳から9歳)の人口が2011年に1298人だったところから、2020年には1808人と、なんと39%もの高い伸びを示しており、ここ数年の新規購入者のプロフィールを見ても、30代の若いファミリー層が中心になっている。 山万のすごさは、単に住宅を小出しに分譲しているだけではなく、街としてどういう機能が必要になるか、街の成長とともに考え、行政でなければできないような事業展開をしていることにある。エリア内に、総合子育て支援センター、保育所、老人保健施設、グループホーム、温浴施設、映画館、ホテルなどひとしきりそろえているが、それだけではない。