北ミサイル、狙われた楽園グアム「準州」の悲哀
太平洋に浮かぶアメリカ領の小さな島が、北朝鮮のミサイル発射計画をめぐって緊迫しています。グアムは島の面積の3分の1を占める米軍基地を抱える一方で、正式な州ではない「準州」という位置づけです。アメリカ政治に詳しい上智大学の前嶋和弘教授が解説します。 【写真】ミサイル発射で挑発合戦、アメリカの北朝鮮攻撃は近いのか?
◇ 米領グアム周辺を狙った北朝鮮のミサイル発射実験計画が明らかになった8月上旬以降、グアムという名前が日本の報道でも連日のように登場するようになった。北ミサイルに揺れるリゾート地・グアムとはどんなところなのか、なぜ「米領」となったのかなどを確認してみたい。
日本に近いリゾート地
グアムといえば、青く澄んだ海。リゾート地として日本にはなじみがある。先住民族であるチャモロ人がほぼ半数。アジアの顔立ちは親しみやすい。 面積は541平方キロメートルで、日本の淡路島よりはやや小さい。人口は16万人強しかなく、同じく「南海の楽園」であるハワイ州の142万人(総面積は2万8300平方キロメートル)とは規模的には比べ物にならないほど小さい。
東京からは2500キロ。飛行機で4時間弱と日本にとっては最も近い「アメリカ」がグアムである。グアムには2016年には年間153万人以上の人々が世界から訪れている。だいぶ減ったとはいえ、その中のほぼ半分の約75万人が日本からの旅行者だった。 北朝鮮の平壌からは3400キロ。日本だけではなく、北朝鮮にとっても最も近い「アメリカ」がグアムである。逆にロサンゼルスからは9800キロ、ワシントンからは1万2700キロ、逆にアメリカ本土からの方が遠い。
スペイン領から米領へ
ではなぜそんなところが、「米領」となったのか。 高校の世界史に詳しい読者なら、この辺りはすぐに説明できるかもしれない。「大航海時代の1521年、グアムはこの時代を代表する航海者のマゼランによって「発見」され、1561年にスペイン領となった。その後、スペインの所有が続き、カトリック教徒が大多数を占めるなど、現在まで文化的にはスペインの影響が大きい。 1898年の米西戦争で、アメリカがスペインを破り、スペイン領のプエルトリコ、フィリピン(1945年にアメリカから独立)とともにグアムは米国領となった。アメリカ史としては、グアムはハワイ(1898年アメリカ併合)などとともに19世紀後半の太平洋への拡大政策の象徴的な存在となった。 途中、第二次大戦では1941年12月に日本軍が占領したが、約2年半後の44年8月米軍が上陸して奪還した。この時の戦いを生き延び、ジャングルで潜伏を続けていた元日本兵の横井庄一さんが1972年に住民に発見され、日本に帰還した。「恥ずかしながら帰って参りました」と朴訥だがしっかりと語った横井さんの記者会見は、当時子供だった筆者にも極めて印象的だった。大変なご苦労をなさったものの、一種のおとぎ話のような横井さんのサバイバルの話を通じて、グアムに対するエキゾチックなイメージは日本にも広がった。 やや脱線したが、その後、グアムはその後、米領として現在に至っている。アメリカにとっては、グアムを自国の領土にとどめておくことは極めて重要な意味がある。というのも、アメリカにとって、朝鮮半島や台湾海峡に近いため、軍事的拠点として重要であるためだ。