「このタイヤ凄えわ!」横浜ゴムの最先端タイヤ開発とサステナブル革命に衝撃を受ける
横浜ゴムは10月12日、全日本スーパーフォーミュラ選手権第6線が開催された富士スピードウェイにて、メディアとジャーナリスト向けに「レーシングタイヤ」勉強会を開催した。 【画像全30枚】
◆モータースポーツで積み上げてきた横浜ゴムの実績
まず、横浜ゴムとレースとの関わりについて紹介しよう。横浜ゴムのレース参加は、1957年に群馬県で開催された第2回全日本オートバイ耐久レース(浅間火山レース)にタイヤを供給したのが始まりだとされる。
日本で本格的4輪レースは1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリが始まりだが、横浜ゴムはその第1回日本グランプリに市販用タイヤを提供、1976年から富士グランチャンピオン(GC)シリーズのマイナーツーリングレースにG.T. SPECIALという銘柄のタイヤ供給を開始。1979年からADVANブランドを投入、赤黒にカラーリングされたADVANマシンの登場である。
今回の勉強会の舞台となったフォーミュラカーとの関わりも大きい。1974年には全日本FJ1300、1979年から全日本フォーミュラ・パシフィック選手権にタイヤ供給を開始。1980年からは国内トップフォーミュラである全日本F2選手権にレーシングタイヤの供給を始める。当時はフォーミュラレースもタイヤがワンメイクではなく、各タイヤメーカーが熾烈な開発競争を繰り広げていた。横浜ゴムは最後発での参戦となったため、タイヤをチョイスしてくれるチームがなかった。そこで横浜ゴムが取ったのが自らがチームとして参戦するという方法。赤黒カラーリングの「TEAM ADVAN」のマシンはサーキットで活躍した。
この全日本F2が1987年に全日本F2選手権は全日本F3000選手権に移行、1996年に全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに改称された。翌1997年にタイヤワンメイク化が行われたために横浜ゴムはフォーミュラ・ニッポンへの参戦を中止する。フォーミュラ・ニッポンは2013年に全日本選手権スーパーフォーミュラとなる。2016年からはシリーズ名を全日本スーパーフォーミュラ選手権と改称。この2016年に横浜ゴムは国内トップフォーミュラへのタイヤワンメイク供給を再開する。