人生が生きやすくなる 一度は読んでおきたい、悩み別・哲学の古典
複雑で不確実な時代を切り開くためのツールとして、近年注目されている「哲学」。『哲学を知ったら生きやすくなった』(日経BP)の著者で哲学者の小川仁志さんに、今回は、「読むと人生が生きやすくなる、悩み別のおすすめ哲学書」を挙げてもらいました。悩みは大きく分類すると4タイプに。それぞれの悩みに合った哲学の名著を紹介します。 【関連画像】 拙著『哲学を知ったら生きやすくなった』は、いわば人生の指針を見つけるための入門書。仕事や人生のさまざまな悩みを、マンガと解説で哲学の観点から解決しています。 今回、ブックガイドするテーマは、「人生が生きやすくなる 一度は読んでおきたい、悩み別・哲学の古典」。哲学の古典から、手に取りやすく親しみやすい8冊を選び、悩みや対処法ごとに紹介していきます。 実際に本に出てくる悩みを見てみると、現代人の「生きにくさ」の原因と悩みは、「悩みの内容」と「その対処法」で大きく4つに分けられることに気づきます。悩みの内容は、「個人の心の悩み」と「人間関係の悩み」の2つ。対処法は、「自分から積極的に動いて変化をもたらす」と「現状を受け入れる」の2つがあります。 そこで今回は、この悩みと対処法の2つの軸を使って、おすすめの古典を分類してみました。 どれを選ぶか迷ったら、自分の悩みの原因や「自分が今どうしたいか」を基準に選んでみてください。何に悩んでいるのか分からないという人は、まずは気になるものを読んでみて、どれに心が向くかを試してみる。少しずつ読んでいくうちに、生きる知恵としての思考法が身に付き、きっとくよくよと悩むことも減っていくはずです。 最初の2冊は、自分の心の悩みを積極的に変えていきたいときにおすすめの本です。このように「自分で人生を切り開く」という考え方は、哲学では「実存主義」と呼ばれています。 ●個人の悩み/積極的に動く 1.『存在と時間(上・下)』マルティン・ハイデッガー著、細谷貞雄訳、ちくま学芸文庫 ドイツの哲学者・ハイデッガーの『存在と時間』は、タイトルの通り人間の「存在」を「時間」という概念と絡めて論じた本です。 ハイデッガーは人間本来の存在のことを「現存在(=ダーザイン)」、つまり「今ここを生きる存在」と呼びました。そのうえで、道具のように交換可能な人間(=ダスマン)ではなく、唯一無二のダーザインとして主体的に生きよと唱えたのです。 では、ダーザイン的に生きるにはどうしたらいいのか? ハイデッガーによるとその秘訣は「生きる時間が有限だと認識すること」。限られた時間を意識して行動することで日常を輝かせることができると言います。なんだか前に進む勇気が湧いてくる考え方ですよね。 少々難しい本ですが、日常でふと「自分は何のために生きているの?」と立ち止まったときに、ぜひ読んでみてください。 ●個人の悩み/積極的に動く 2.『ツァラトゥストラはこう言った(上・下)』ニーチェ著、氷上英廣訳、岩波文庫 人生には理不尽な物事や繰り返しの苦難も多く、くじけそうになることもあります。そうした困難を乗り越えたいときに読みたいのが、人気哲学者・ニーチェの本です。 ニーチェは、人生は同じことを繰り返す「永遠回帰」のプロセスと考え、困難に対して何度も立ち上がって超えていく存在を「超人」と呼びました。超人はその文字の通り“超えていく人”という意味。何を超えるかについてはさまざまな解釈がありますが、私はやはり、「今の自分を超えていく」ことだと思っています。 ニーチェの言葉で、中でもよく知られるのが、「神は死んだ」という宣言。その背景にあるのは、当時絶対的な存在だったキリスト教の退廃です。当時の人々は、神に全てを委ねてニヒリズム(虚無主義)やルサンチマン(負け惜しみの精神)に陥っていた。だからこそニーチェは絶対的な価値観を壊し、「自分の基準で生きて、超人になれ」と言ったのです。 自分の信念の下にルールを作り、その基準に合わせて生きていけば、悩む必要は何もないのですから。 ●人間関係の悩み/積極的に動く 3.『実存主義とは何か』J-P・サルトル著、伊吹武彦・海老坂武・石崎晴己訳、人文書院 実存主義の確立者といわれるのが、戦後に活躍したフランスの哲学者・サルトルです。 この本にも収められている有名なスローガンの1つが、「人間はみずからがつくったところのものになるのである」という言葉。サルトルはこれを人間とモノ(ペーパーナイフ)の比較で説明しています。 モノは作られたときから目的や運命が決まっていますが、人間はモノとは違って自ら人生を作っていける存在であるーーつまり運命に関係なく、人間は自分で人生や社会を切り開いていく自由があるというのです。論理的で、勇気づけられる考え方ですよね。 サルトル自身も政治活動を行うなど、積極的に社会に関わって社会を変えていこうとしました。その中で彼が導き出したのが、積極的に関わることや社会参加を意味する「アンガージュマン」という概念。他人や社会など、自分では簡単には変えられないことでもがき続けることが大事で、それが個人の自由の実現につながるのだと。こうして小さな行動を起こすことで、私たちは人生に希望を見いだすことができるのではないでしょうか。 ●人間関係の悩み/積極的に動く 4.『体験と創作 (上・下)』 ディルタイ著、柴田治三郎・小牧健夫訳、岩波文庫 価値観が多様化する現代で、合わない人とどう付き合うか。そんな悩みにヒントを与えてくれるのが、ドイツの哲学者ディルタイの思想です。 ディルタイは、人間の生や非合理な部分をありのままに捉える「生の哲学」のパイオニアの1人。それまでの哲学では人間の本質は「意識」にあると考えられていたのですが、彼は「人間というのはそれぞれに感情や経験を抱えた皆違う存在であり、それが人間らしさをつくっている」と考えました。 そのうえでディルタイが重視したのは、人生における「体験」です。人間は異なる体験からできているからこそ、接すると「抵抗」が生まれる。大切なのは、相手の体験や背景を知り、なぜ自分と違うのかを理解しようと努めること。それが、自分を成長させて前に進むきっかけになると説いたのです。 この『体験と創作』は、直接人間関係について論じているわけではなく、詩や文学などの創作における「体験」がテーマ。創作する生き物は人間だけであり、創作の根源には「体験」があるとディルタイは言います。生の哲学における「体験」の重要性が分かる一冊です。 ●個人の悩み/現状を受け入れる 5.『老子』蜂屋邦夫訳注、岩波文庫 争いや競争が絶えない時代の中で、心がザワザワと落ち着かない。自分の心の悩みを前向きに受け入れ、行き詰まりを打破したい。そんなときに読みたいのが、中国の春秋戦国時代を生きた老子の言葉です。 老子の根幹にあるのは、自然の摂理に「あらがわない」という考え方です。中でも有名な言葉は、あるがままの状態を良しとする「無為自然」。「何もしないことが、実は全てをすることになる」と老子は言います。 同様の言葉が「上善は水のごとし」、つまり物事の最善の状態は水のように流れていくものだということ。この本にはこうした思想が明解なスローガンと短いエピソードで書かれていて、頭にすっと入ってくるのも特徴です。 私も闘うことに疲れたとき、老子を手に取ります。読むと一杯の冷たい水を飲むように、あくせくした心が癒やされて、今は待とう、受け入れてみようと思える。そんな心を落ち着かせるためのヒントが詰まった一冊です。『哲学を知ったら生きやすくなった』でも、疲れたときには老子がおすすめと紹介しています。 ●個人の悩み/現状を受け入れる 6.『幸福について ―人生論―』アルトゥール・ショーペンハウアー著、橋本文夫訳、新潮文庫 私たちは孤独を「寂しいもの」と否定的に捉え、思い悩むことも少なくありません。しかし、ドイツの哲学者ショーペンハウアーはこの本で、「孤独はむしろ良いものであり、孤独を生かして自分と向き合うことで幸せになれる」と言っています。なぜなら私たちが完全に自分自身でいられるのは、1人でいるときだけだから。さらには「孤独を愛さないものは、自由をも愛していない」と説いたのです。 ショーペンハウアーは、若くして挫折や隠とん生活を経験したこともあり、厭世(えんせい)主義(ペシミズム)の立場から幸福を追求しました。その思想の背景には「人間の欲望には際限がない」という洞察があり、「富は海水に似ている。飲めば飲むほど喉が渇く」といった有名な比喩も残しています。 この本が教えてくれるのは、無理に求めるのではなく意志や欲望を諦めることで、人は幸せになれるということ。現代人のぼんやりとした孤独や不安を解消してくれる一冊です。 ●人間関係の悩み/現状を受け入れる 7.『怒りについて 他二篇』セネカ著、兼利琢也訳、岩波文庫 相手が自分の思い通りにならずイライラしたり、怒って後悔することも少なくありません。古代ローマの哲学者・セネカの「怒りについて」は、アンガーマネジメントの古典と言える一冊。自然に湧き出る怒りをどうコントロールするかが書かれています。 セネカは暴君で知られる皇帝ネロに仕えた経験から、怒りを悪だと批判し、遠ざけるべきものだと説きました。中でも心をつかまれるのは、「人間は相互の助け合いのために生まれた。怒りは破壊のために生まれた」という言葉です。怒りは破壊であり、報復の欲望であるというのです。 そもそも人間関係でうまくいかないときは、自分だけでなく相手も関係性で困っているのです。だからこそセネカは「怒りに任せるのではなく、冷静になり理性を持って伝えることが大事」だと言います。 それは結果的に、お互いの困りごとを助け合うことにつながるのだと。こうしたセネカの「助け合う」という発想が、私はとてもいいなと思うのです。 ●人間関係の悩み/現状を受け入れる 8.『生きるために大切なこと』アルフレッド・アドラー著、桜田直美訳、方丈社 自分と他人を比べて、つい劣等感や優越感を持ってしまうのが人間。けれど「劣等感は悪いものではなく、むしろ自分を成長させる原動力になる」と肯定的に捉えたのが、オーストリアの精神科医で心理学者のアドラーです。この本は「生きるために大切なこと」というタイトルの通り、前向きに生きるためのノウハウが詰まった一冊。 アドラーは劣等感を良い方向に活用する方法として、「他人ではなく理想の自分と比べること」を勧めます。 自分の評価を他者の承認に委ねていると、満たされず苦しむだけ。けれど自分と比べれば、「伸びしろ」だと捉えることができます。そのうえで彼は「自分がどうありたいか」を明確にし、課題を克服するための「勇気」を持つことが大事だと説いたのです。 では、勇気を得るにはどうすればいいか。一番の方法は「自分の世界の見方(=意味づけ)を変えること」だと言います。 トラウマの存在を否定して「個人心理学」を確立したアドラー。「人間は自分自身で人生を意味づけ変えていくことができる」という革新的な考え方こそが、彼の哲学の根幹なのです。 取材・文/渡辺満樹子 編集協力/山崎綾 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集部)