北の湖を倒した「がぶり寄り」、けがから再起し大関昇進への原動力に…元大関琴風の「演歌と土俵」
元大関琴風の中山浩一さん(67)(元尾車親方、津市出身)は現役時代、「がぶり寄り」が代名詞だった。腰の上下動で相手の体をあおり、一気に寄り切る速攻相撲――。この取り口の習得こそが、膝の靱帯(じんたい)断裂という大けがをきっかけに気づかされた「生き残っていく道」であり、再起と大関昇進への原動力だった。(三木修司) 【写真】これは貴重!…後援会主催の野球大会で打席に立つ元大関琴風の中山浩一さん
初金星は「たまたまの産物」
1977年11月の九州場所4日目、東前頭筆頭の琴風が北の湖を土俵下に寄り倒した。左四つから右の上手まわしを浅く引き、がぶって寄る速攻。平幕が横綱を倒す琴風の金星第1号でもあり、これ以上ないという勝ちっぷりで北の湖の19連勝を阻んだ。
中山さんは「夢中で前に出た相撲。無意識にがぶっていた」と懐かしがる。5日目以降もがぶり寄りがさえて初の10勝を挙げ、初の三賞となる殊勲賞に輝いた。新入幕から6場所の琴風にとっては、「初物ずくめ」の好成績だった。
しかし、この場所でがぶり寄りが完成したのかというと、中山さんは「たまたまの産物だった。ちょっとだけ、ホントにちょっと開眼しただけだ」と否定する。翌場所以降はがぶっても勝ったり負けたり……。琴風の気持ちの中に「こだわりはなかった」と振り返る。
北の湖戦から1年後の78年九州場所で左膝の靱帯を痛め、4場所連続で休場に追い込まれた。関脇、小結の三役に定着していた番付から転がり落ち、相撲部屋で稽古を再開した79年5月の夏場所(休場)は、幕下5枚目に下がった。「身も心もボロボロ。左膝は相当に悪い。もう上には戻れないだろう」という後ろ向きな思いと、「ここで踏ん張らなければ」という前向きな思考が入り交じった。
♪男はさすらいの 旅路が好きだよ 一人になれば また故郷恋しい (琴風オリジナルベスト20「さすらいの旅路」より)
両親や姉の顔を思い浮かべては、泣き言をのみ込んだ。「真剣にがぶり寄りを体に覚え込ませる」と稽古に励む。あの北の湖戦で得た「かすかなコツ」が頼りだった。師匠の佐渡ヶ嶽親方(元横綱琴桜)の「前に出ろ、後ろに引くな、逃げるな。がぶれ、がぶれ」という叱咤(しった)激励も、迷いをかき消す力になった。