「坊やへ 天国に憎しみはないよ」 地元の中国人から日本人学校に献花途切れず2000以上に 深センの男児殺害事件から半月
開放的なはずの深センでなぜ…
深センは、中国の“改革・開放”の先頭を走ってきた都市です。日本をはじめ外資系企業の進出も多く、人々はこれまで外国人との交流にもなじんできました。 (日本企業と交流してきた女性)「本来ならば、ここは安全な場所であるはずです。中国の改革・開放が始まって最初に深センに工場を作ったのは日本人です。私も1980年代にここに来ました。多くの日本人とビジネスをしてきました。ここは友好的な地域で、私がここへ来るときに通った交差点には『国際児童友好都市』と書かれていました。そんな場所で、こんなことが起きてしまったのです。人道に反する事件です、とてもつらい」 (献花に訪れた男性)「この事件を知って、とても悲しいです。こんなことが今後、続くことがないように願っています。だから哀悼の意を込めて、献花に来ました。以前私が勤めていた会社には日本人の同僚もいました。アメリカ人も、日本人もいました。私はもうすでに退職しましたが、改革・開放は日本人や海外の協力なしには成し遂げられなかったものです」 長く深センに暮らす中国人ほど、「開放的な深センでなぜ?」と疑問を口にしました。 記者が、事件現場の近くにある花店を訪れると――。 (花店の店主)「(男の子の死を)さっき花を買いに来たお客さんから聞いて、初めて知りました。話を聞いて、全身に鳥肌が立ちました。本当に複雑な気持ちです。どうして小さな子どもに対してそんなひどいことができるのか。何人ものお客さんが花を買いに来ました。その子のための献花です。花を用意して渡しましたが、私はいまだに気持ちの整理がつかなくて」
ニュースなく「情報のブラックホール」
実は、中国の大手メディアは発生当時、ほとんど事件を報じていません。献花に集まった人の多くは、事件をSNSや人づてで知ったといいます。 (献花に訪れた女性)「友人が海外のニュースを転送してくれて、私はそれを見て知りました。あとそれから、できれば(インタビュー映像は)顔を加工してもらえると助かります。中国では顔をさらすことには一定のリスクがあるので」 (取材を警戒する男性)「みんな日本のメディア?中国のメディアは…いないとも限らない?たぶん中国メディアもいますよね。いても構いません、話している内容で恐れることはない」 (献花に訪れた男性)「警察の簡単な発表文が一つ出ただけ。報道なんかされていません。蘇州(で日本人親子が襲われた事件)は当時報道されたか?されていません。吉林(でアメリカ人が襲われた事件)は当時報道されたか?されていません。報道されることはありません、不可能です。ここは情報のブラックホールです。報道されない状況にいると、何も理解することができません。海外メディアは悪いニュースを報じて、良いニュースは報道しませんが、ここではまったく逆です」 情報が遮断された状況でも、人々は事件に関心を向け、校門への献花は途切れることなく続きました。男の子に捧げられた花は、事件後10日間で2000を超えました。 (涙ぐみながらこぶしを振り上げる男性)「憎しみの心に、希望はありません。わが民族は、こうあるべきではありません」 献花に添えられたカードには、こう書かれたものもありました。 「坊やへ:天国に憎しみはないよ」 一方、中国政府は会見などで、繰り返し事件を「偶発的なもの」と説明しています。 事件発生から半月が過ぎたいまも、男の犯行の動機は明かされないまま。不安を抱く一部の日本人の間には、帰国の動きも起きています。 (ANN上海支局)