育成方針の違い
先日、あるプロ野球の球団監督と対談する機会がありました。この監督は、選手の主体性を高めることにとても力を入れています。 「主体性はどのように高められるものなのでしょう?」 冒頭からストレートに伺ったところ、方法論が見事に言語化されていて、思わず聞き惚れてしまいました。実際にどの程度、選手の主体性が高まっているのだろうかと思い、続けて、 「理想に対して今どのくらいまで来ていますか?」 と尋ねると、監督は、痛いところを突かれたという表情を浮かべて言いました。 「まだまだですねー」 方法論も明確で、実際に行動もされているのになぜだろうと不思議に思い、今度はその疑問をぶつけました。 監督から返ってきたのは、 「コーチ陣がそれぞれに違った考えを持っているから」 という答えでした。 プロ野球のコーチたちのほとんどは、選手として素晴らしい実績を上げた人たちです。選手だったときの経験から、パフォーマンスを上げる指導についてそれぞれの信条があるわけです。つまり、コーチたちが必ずしも監督の考え方に同意するとは限らない。そして、すべての指導を監督がチェックできるわけではありませんし、そうすることが必ずしもよいともいえません。 監督の話を聞いて「企業の中で起こることに似ている」、そう思いました。
育成方針が異なることの弊害
以前、ラグビーのトップリーグ(現リーグワン)チームの監督のコーチングをしたことがあります。そのときのテーマは、コーチ陣を「一つにする」ことでした。 監督は日本人ですが、コーチには、ニュージーランド人、オーストラリア人、日本人がいました。それぞれ育った文化も環境も違いますから、当然、選手の育成方法に対する考え方も違います。しかもニュージーランドとオーストラリアはラグビーのライバル国なので、思いっきり意見が対立します。そして、日本人コーチはというと、日本人の指導の仕方は自分たちが一番わかっていると譲らない。たしかにそれぞれの言い分で正しいことはあるでしょう。だからといって、それぞれが自分の考える指導法で選手に関わればよいかというと、そうではありません。 一人の選手に関わるコーチは複数います。異なるマインドセットや指導法で関わるコーチたちに接することは、選手たちにとって負荷がかかるものです。違う指導に混乱する可能性もありますし、それぞれの関係性に気をつかうかもしれない。そうして、気づかないうちに精神的な疲労がたまります。心が疲れると、創造力や想像力をつかさどる前頭葉が働きづらくなりますから、パフォーマンスにとってもよいことはありません。 監督やコーチ陣の指導に対する考え方や価値観が異なること自体は、決して否定するものではありません。しかし、選手を指導する側、育成する側の間で、目指すところや指導方法に関する考え方がそろっていないと、チームのパフォーマンス自体に影響を与える可能性があるわけです。 スポーツチームにおける監督とコーチ陣は企業に置き換えれば、社長と役員陣、部長と課長陣との関係に置き換えることができます。