「表のミュージシャンが裏社会に寄ってきた感じ」真心ブラザーズと奥田民生が急接近した瞬間「民生さんを知って衝撃的だったのは…」
同世代のミュージシャンとして様々な形で共演し続けた真心ブラザーズ。ふたりが奥田民生と急接近したきっかけをきくと……。(全2回の前編/ 続き を読む) 【画像】真心ブラザーズと奥田民生の写真を一気に見る ◆◆◆ ――ユニコーンのデビューが1987年で、真心ブラザーズは89年です。民生さんに対して、同世代の仲間意識のようなものはあったんですか? YO-KING いや、ユニコーンは表側で、こっちは裏側だからね。バンドブームでいうと、ユニコーンやジュン・スカイ・ウォーカーズが表で、下北沢は裏(笑)。しかもアルバム1枚目、2枚目あたりはアイドル的な感じだったから、正直なところ聴いてみようって気にはならなかった、あの頃は。 桜井秀俊 4枚目のアルバム『ケダモノの嵐』(90)のCD帯にさ、丸く穴が開いてて、そこから川西(幸一)さんの顔が覗いてて、矢印で「この人がドラム」って書いてあったんですよ。それを見て、あ、このバンド好きって思った(笑)。 YO-KING その辺のユーモアが出てくるのは、やっぱり3枚目の『服部』(89)ぐらいからでしょう? それまでは『PATi・PATi』とかの表紙に出てたし、同世代のバンドマンに響くようなバンドではなかったと思う。『服部』『ケダモノの嵐』あたりから、ユニコーンってカッコよさそうじゃんって、ざわついてきた印象はあります。 ――民生さんとの交流が始まったのはいつごろですか? YO-KING SMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)は以前CSアーティスツと言っていて、「CSAちゃん祭り」というイベントをやってたんですよね。その辺のバンドを集めて、シャッフルしたりして。そのときの企画の打ち合わせから、だんだん話すようになって、仲よくなっていったイメージがありますけど。90年代のはじめかな。 桜井 シャッフルバンドの流れでいうと、SPARKS GO GO(スパゴー)が地元の北海道・倶知安を盛り上げる趣旨のイベントを開いたんですよ。そのときに民生さんとスパゴーと真心がシャッフルして、ポテ伊東と……なんだっけ? ――「ポテ伊東とハッピー&八熊」ですね。