「表のミュージシャンが裏社会に寄ってきた感じ」真心ブラザーズと奥田民生が急接近した瞬間「民生さんを知って衝撃的だったのは…」
桜井 え、こっちは忘れてるのに(笑)。倶知安のときはそういう名前のシャッフルバンドをやって、それ以来、民生さんが考えた企画に呼ばれるようになったんですけど、僕は言われたことをなんでもやるという、そういうプレイを毎回させられて(笑)。でもそれで気持ちが近づいたかなと。そのあと地球三兄弟をやって、さらにまた近くなって、みたいな流れですね。
「楽屋でふたりがずっと永ちゃんのものまねして(笑)」
――YO-KINGさんは民生さんやTheピーズの大木温之さん、佐藤シンイチロウさんと03年にO.P.KINGを結成しました。あれはどういう経緯だったんですか? YO-KING 「TODAY」というイベントを主催していたときに民生くんとTheピーズを呼んで、最後にロックンロールのカバーをセッションしたんですよ。それで次の年の夏かな、チャック・ベリーが来日するとき、日本の対バンを探してるっていうので、この前のセッションバンドで出てみないかって話になったんだと思う。 民生くんとはるさんって言ったら表の代表と裏の代表みたいなもんだから、そのケミストリーはすごく面白かった。楽屋でふたりがずっと永ちゃんのものまねして歌ってたもんね(笑)。ハモってたよ、ふたり。 ――ちなみにその2年後、2005年のイベントにポテ伊東とハッピー&八熊は参加するはずでしたが、トラブルからキャンセルになって、翌年にお披露目されています。 YO-KING ああ、そのとき時間がなくなったから、こんないい加減なバンドはいらねえだろうってなったんだ、たぶん(笑)。会場の床が抜けて、他の人たちも1、2曲くらいしかできなくなっちゃったから。 桜井 やったらやったで、他の人の歌をけっこう酷い替え歌にしてるから、音源に残せない(笑)。そのとき観た人しか知らないバンドです。
YO-KING そう思うと、表の奥田民生が裏社会に寄ってきた感じはあったよね。まあ、たまたま最初の印象がバンドブームの表のほうでね。一緒にやったら、中身は同じだったっていう。ユーモアの感覚も同世代で近かったし、カッコつけすぎてるのはカッコ悪いみたいな価値観は一緒だったと思うんですよね。 桜井 民生さんを知って衝撃的だったのは、こんなにダジャレばっかの人なのって(笑)。我々の裏チームでは、ダジャレってそんなになかったから。民生さんってダジャレの人なんだ、マジでおじさんじゃんっていう認識でしたよね、最初のころは。