「桜の花びらのような無数の遺体、今も夢に見る」無戸籍で約80年生きた戦争孤児が明かす、壮絶な半生(後編)
その後はお祭りを巡業するテキ屋、ギター片手に酒場で歌う流し、バーテンダーと職を変え、30代で中華料理屋に行き着く。どこに行っても口にできないほどみじめな思いをした。だからなのか、何度も私にこう言った。 「俺は10分の1もしゃべらないよ」 ▽「俺は人間じゃないってか」立ちはだかったのは役所 亀田さんにも、かつて結婚を考えた女性がいた。 「25歳くらいの時に付き合ってたやつがいてさ。でも、嫁さんをもらうにも戸籍がないとできないんだよ」 仕事で住処を変えるたびに、区役所で「戸籍が欲しい」と相談した。話は聞いてくれるが、そのたびに「本当は朝鮮の出身じゃないか」と疑われたそうだ。日本のどこで生まれ、これまでどこで何をしていたのか―。職員はみな、亀田さんのルーツとそれを証言できる人を要求。最後は決まって「また調べとくから」と追い返す。 「おまえは『数』に入ってないよ」と邪険に扱ってくる職員もいた。
そんなことが7回、8回と続いた。 「戸籍に載っていない俺は人間じゃない、日本国民じゃないってことだ」 「4歳で親なし、親戚なしのやつに…話にならないじゃん」と吐き捨てるように言う。その声色には諦めがにじんでいた。 「国なんかあてにしてない」 愛した女性とは一緒になれなかった。ただ、どれだけ孤独にあえいでも自死だけは選ばなかった。こんな信念があるからだ。 「俺が死んだら、誰が親やきょうだいを思ってあげられるんだ」 先祖代々の墓があるかどうかもわからない。それでも生き抜いてきた。 ▽行政にできることはなかったのか。国や専門家は… 行政がきちんと対応していれば、亀田さんも戸籍を取り戻せたのでは。そんな疑問を持ち、専門家に話を聞いた。東京都内の区役所で29年間戸籍事務に従事した戸籍制度史研究家の岩田章浩さん(71)だ。 岩田さんは、行政が証言者を求めた対応については、「なりすまし防止のためで、間違ってはいない」と評する。ただ、本籍地を一定の地域内に絞れれば、そして住居や両親に関するある程度の情報があれば、戸籍をたどれたと指摘する。