「桜の花びらのような無数の遺体、今も夢に見る」無戸籍で約80年生きた戦争孤児が明かす、壮絶な半生(後編)
▽編集後記 この「亀田さん」が、無戸籍の戦争孤児かどうかを法的に確定するすべはない。亀田さんは、出自や来歴を証明するものを持っていない。裏を返せば無戸籍であることの裏付けも見つかっていないということだ。一種の「悪魔の証明」にすら思える。ホームレスの巡回相談を担う自立支援センターも取材したが、協力は得られなかった。 亀田さんにたどり着く手がかりを最初に教えてくれたのは、自身も戦争孤児で、孤児の実態調査に半生を捧げたことで知られる「戦争孤児の会」元代表世話人の金田茉莉さんだった。 すべては金田さんと「無戸籍の戦争孤児Aさん」の支援者が会う約束をしたことから始まった。私も取材のためその場に同席するはずだった。だが、金田さんは約束の日に倒れ、Aさんに会えないまま亡くなった。 亀田さんに出会って数か月、Aさんの支援者の携帯を鳴らした。一度は取材を断られたが、経過を伝えると、ようやく「Aさん=亀田さん」だと明かしてくれた。
私は、埼玉県蕨市にある金田さんの自宅を再訪し、亀田さんとのことを仏前でこう報告した。 「見つけましたよ。ありがとうございました」 金田さんは、生前最後のインタビューでこう語っていた。 「戦争孤児というのは家族も故郷も失い、人間の裏を見てきた。どれだけ苦労したかをきちんと調べず、『戦争だから仕方ない』と済ませてはいけない。今でこそ家も子どもも持てたけど、幸せだったとは言えない。せめて最期は日本人として尊厳を持って死にたいです」 既にこの世を去った大勢の孤児たちも、亀田さんも同じではないだろうか。親に先立たれ、自分が何者かを見失ったまま生きた子どもたちには「終戦の日」は来ていない。 【前編はこちら】「親兄弟を空襲で失い、無戸籍のまま80年生きた」専門家も驚く戦争孤児、令和に実在?わずかな情報を頼りに探した記者が出会ったのは…(前編)