ロバート キャンベルが語る日本文学の真髄「ひとつの言語体系で書かれてきた世界でも非常に稀な文学です」
英国ではここ数年、翻訳小説総販売数の4分の1を占めるほど日本の現代文学が読まれている。今につながる先人の文学の足跡を辿る。 写真はこちらから→ロバート キャンベルが語る日本文学の真髄「ひとつの言語体系で書かれてきた世界でも非常に稀な文学です」 解説:ロバート キャンベルさん(日本文学研究者) 米ニューヨーク市生まれ。ハーバード大学大学院博士課程修了。日本文学研究者。1985年に九州大学文学部研究生として来日。東京大学大学院総合文化研究科助教授、同教授、国文学研究資料館館長などを経て早稲田大学特命教授。近著に『戦争語彙集』(岩波書店)ほか著書多数。
ロバート キャンベルさんが語る日本文学の真髄
1985年に来日し、近世・近代日本文学を研究するロバート キャンベルさんに、日本文学の変遷と真髄について尋ねた。 「日本文学は、世界でも非常に稀な文学だといえます。1300年以上にわたり王朝が交替していないため、日本語というひとつの言語体系で書かれてきたという点で、ほかにあまり類を見ない。発音や書き方などは時代とともに変遷があるとはいえ、どの時代のどんな地点に立ち、どういう目線で物事を見るか、どのような人生の時間の中で、誰が、何を書くか、そこに日本文学のおもしろさがあるのだと思います」 さらに挿絵が多いことと、古来、見聞したものを記録する風習があったため、観察眼が養われたことが日本文学の大きな特徴といえると、キャンベルさんは語る。 「それまでは上流階級の間で読まれていた『源氏物語』のような古典も、江戸時代になると読者が増えました。『源氏物語』に限ったことではありませんが、大衆は文学などからさまざまな教訓を読み取り、自分たちの生活に役立てていたのです。大衆の多くは主に講談などで物語を聞き、楽しみ、そこから生きる術を学んでいました。明治になると、学校教育により話し言葉と書き言葉がほぼ同じ形の言文一致体になっていき、人々は書物を読むのみならず、自ら書く機会が増えていきました」 言文一致体が推し進められたのは、日本が欧米列強と肩を並べる大国を目指し、植民地に対する言語教育とともに、地域による差のない共通の“国語”が重要であると政府が考えたため、とキャンベルさんは指摘する。 「江戸時代には、文学の中で徳を積むことにより、家族や仲間を存続させることを学び取っていましたが、明治時代になると大衆は情報を新聞から得るようになり、情報源としての文学は一定の役目を終えることになりました。以降は、純粋に芸術としての文学作品が生み出されていくようになったのです。同人誌などに投稿することもできるようになり、その意味では日本文学の裾野が広がったといえます」