彬子女王殿下が語られた、「博士論文性胃炎」になったときのストレス解消法
ある日、体に異変が生じ、胃に痛みが......
キッチンや廊下で彼らに会うと、いつも快活に「元気?」「調子はどう?」と聞かれたりする。しかし、執筆が劇的に進んでいるなんてことはほとんどない。いつも一進一退を繰り返し、1日中パソコンの前に座って書けたのはたった5行、なんて日もある。 だから「元気?」と聞かれても元気なわけはないし、「調子はどう?」と聞かれても基本的に調子はいまいち。こうして、論文書きに集中せざるをえない私のなかの暗闇は広がり、世界でたった1人、時間の狭間に取り残された悲劇の主人公になってしまったように感じるのである。 毎日〈現地の友人の〉みーちゃんとは電話で話していたので、誰とも口をきかない日はなかったけれど、誰とも会わない日はよくあった。毎日同じ答えしか返せない自分が嫌になり、会話をするのが煩わしくなって、人に会うのを避けるようになっていった。 昼食も夕食も人がキッチンに来ない時間帯にささっとつくり、自分の部屋に戻って食べる。執筆中の唯一の息抜きといえば食事なのだが、一人だと手のかかるものをつくらないので、いつもおうどんやどんぶりなどの簡単なものになる。 食べるのも15分もあれば終わってしまう。ご飯をつくっているときも、食べているときも、論文のことが頭を離れない。いわば1日中、ずーっと脳のスイッチがオンの状態になっていて、熟睡することもままならなくなっていったのだった。 しばらくそんな生活を続けたある日、体に異変が生じた。食べても飲んでも気持ちが悪いし、ときどき刺すような胃の痛みが襲う。食べたものがずっと胃に残って消化されていないのがわかる。
「これではいけないと少しの生活改善を試みた」
二日ほど「うーん、うーん」とうなった私。論文のことを考えるとそれどころではないのだが、背に腹は代えられない。しかたなく病院で診てもらうことにした。 診察のあと告げられた病名は「ストレス性胃炎」。先生いわく、「根本的なストレスを取り除かないかぎり治らない」とのこと。しかしそれはどう考えても無理な話。論文を書き終えるまではこの生活から抜け出せないのに、論文が胃痛の原因なんて......。 薬をもらい、症状は一時的に改善されたが、根本的な解決にはならない。結局は、論文提出まで数カ月に1度のペースで「博士論文性胃炎」に苦しめられることになったのである。 初めて胃炎を発症したとき、これではいけないと少しの生活改善を試みた。何日も部屋の中に缶詰め状態ではさすがに息が詰まるので、気分転換に久しぶりにロンドンに出かけてみることにしたのだ。 とくに用事があったわけではなかったけれど、大英博物館に行き、オフィスで作業をしてみた。〈仕事場の〉ひろみさんやケイスケさんと日本語で他愛もない話をし、笑っているうちに、だんだん気持ちが明るくなり、元気になってきた。 そういえば、もともと子どものころから人に囲まれて育ってきた私は、人が周りにいるのが自然だった。集中したいからと閉じこもってばかりいたことが逆にストレスになっていたらしい。「独りにならないことって大切なんだ」とあらためて思った出来事だった。