傭兵に支払われるはずの金貨が大量に出土。背景には「よほど不運な出来事」があった?
トルコ西部に位置する古代ギリシャ時代に存在した街、ノティオンにおいて、大量の金貨が詰め込まれた壺が発掘された。ミシガン大学で考古学を研究するクリストファー・ラテ率いる発掘チームによって発見されたこれらの金貨は、「ダリク」と呼ばれるペルシャ帝国で流通していた世界最古の通貨の一つ。ダリクは主に傭兵への報酬として支払われていた硬貨で、ラテは、同じ場所で大量に発見された今回の金貨も同じ目的で使われる可能性が高かったはずだと見ている。 「回収する目的がなければ、これほどの量の硬貨を保管しておくことはないと思います。貴重な金属製の硬貨だったらなおさらです。これだけの金貨がそのまま発掘されたのは、よほどの不運な理由があったとしか思えません」 ダリクは、紀元前6世紀後半から紀元前330年にアレキサンダー大王がペルシャ帝国を征服するまで鋳造され、年代ごとに異なるデザインが施されていた。新たに発見された金貨の考古学的背景が解明されることで、古代ペルシアの王朝、アケメネス朝の金貨の年代を細分化できる可能性がある。 紀元前3~1世紀のヘレニズム時代にさかのぼるこの遺跡は非常に保存状態がいい。だが、研究者たちが街の中心部にある大きな中庭を調査した結果、家の基礎に組み込まれた壁から、紀元前5世紀に作られたと思われる陶器の破片を発見した。つまり、ヘレニズム時代よりも前から人が住んでいた可能性があるのだ。 「金貨が入った壺もヘレニズム時代の邸宅の地下に埋もれた建造物の部屋の隅で発見されました。おそらく、そこに保管されたまま、何らかの理由で回収されなかったのでしょう」とラテは語り、ギリシャの歴史家クセノポンによれば、1ダリクは傭兵の給料1カ月分に相当するという。 ラテによると、大量のダリク金貨が入った壺はこれまでも何度か発見されたことがあった。だが、これらは考古学者による発掘調査ではなく、「歴史的発見に興味をもたない」略奪者によって掘り起こされていた。ラテはこう説明する。 「文脈を理解せずに発見された遺跡は記憶喪失に陥った人と対話することと同義です。発見されることはとても重要ですし興味深いものではありますが、文脈がないと、計り知れない量の情報が失われてしまいます。今回は発掘場所や、金貨が保管されるに至った経緯もしっかりと把握できています」 ノティオンは、トルコ西海岸の都市とともにペルシャ帝国に紀元前6世紀半ばに編入され、紀元前5世紀始めにその支配から解放された。ところが、紀元前4世紀初頭にペルシャ帝国に再び取り込まれ、アレクサンダー大王が征服するまでその支配下に置かれた過去をもつ。 ノティオンや近隣都市の住民たちの激烈な状況を記録した古代ギリシャの歴史家トゥキュディデスの記録によれば、この地域は、ペルシャとアテネの勢力圏がぶつかる境界地域だったという。 そして紀元前247年には、アテネの将軍パケスが親ペルシャ派の指揮官を罠に誘い込み、傭兵たちを殺害した。最終的には親ペルシャ派は追放され、ノティオンの町はアテネの管理下で再編された。 このほど発掘された金貨は現在、トルコのエフェソス考古学博物館で保管・研究されている。ノティオンの街の発掘も現在進行中で、金貨の考古学的背景が解明されることに研究者は期待を寄せている。
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