「承認欲求モンスター」が「食レポ」と出会うとどうなるか…エリックサウス総料理長が感じた食語りの“重さ”とは(レビュー)
■極めてリアルに描き出された承認欲求モンスターの姿
一族の興亡を賭した復讐譚である南総里見八犬伝に比べると、ラーメン及びネット記事での炎上にまつわる恨みつらみでひとりの人間にお灸を据える本作は、一見ごくちっぽけな瑣末事(さまつごと)にも見えます。しかし昨今のネットでの炎上が巻き起こす様々な「事件」や、それに巻き込まれた人々の悲劇を目にしていると、とてもそれが「瑣末」だなんて言っていられないことも我々はよく知っています。 作者はそんな架空の炎上事件を次々と描き出し、読者はそのあまりのリアルさに、心を痛めながらも思わず吹き出してしまうことになるでしょう。そんな中で諸悪の根源は主人公の行き過ぎた自己承認欲求にあることが徐々に明かされていくのですが、読者は彼が悪鬼であると同時に悲しきモンスターであることも知ることになります。主人公は過去の自分の様々な行いに対して、時に後悔しつつも、基本的には開き直ってそれを正当化します。その身勝手な論旨や思慮の浅さはひたすらに滑稽であり、これまた極めてリアルです。確かにこういうタイプの人はいる。身近に存在するかどうかはともかく、ネットの中には多数生息しています。 我々は架空の炎上事件を笑いつつ、それを面白がるということはすなわち、自分自身の人格の中にもそんな悲しきモンスターが潜んでいるのではないかと、ふと不安にもなるのです。だから我々は主人公を単なる愚者として断罪できない。どこかで彼に対する救済を願って読み進めることになるでしょう。 復讐譚の常として、復讐は首尾良く成し遂げられます。主人公の言葉をそのまま借りれば、 「お前ら全員暇かよ!! なんで人生かけて、そこまでやるんだよ」 という、実に周到かつまわりくどいやり方で。そして主人公のこの問いかけは、読者にとってのミステリーでもあります。この復讐に、これだけの情熱とエネルギーを注ぎ込む意味は本当にあったのか。そして主人公に救済はあるのか。それはぜひ本編でお確かめください。