平安貴族の男性は涙が美徳? 「男なんだから泣かない!」がここまで浸透した背景
明治~昭和戦前期の政治家や軍人が髭を蓄えていたわけ
「男の子なんだから泣かない!」は時代によって「男らしさ」が変わった例です。つぎに、地域によって違う例をあげましょう。男性の髭は身体の一部なので、その存在そのものはジェンダーとは言えません。しかし、その髭をどうするのか、伸ばすのか、剃るのかになると、これはジェンダーの領域になってきます。 現代の日本社会は、男性が髭を剃る文化です。剃らないと「無精髭」と言われます。学生なら許されますが、ビジネスマンとしてはNGです。ところが、企業の中でも髭を剃らずに蓄えている人がいます。それは、イスラム世界を相手にする人、たとえば商社の石油輸入担当で、中東で交渉する人などです。イスラム世界では、髭は「男らしさ」の象徴、一人前の男の証明なので、髭がないと相手にされません。だから髭を伸ばすのです。 また歴史の話になりますが、日本の男性も髭を伸ばしていた時代がありました。平安時代までは剃っていましたが、中世になると、髭を蓄えるようになります。ところが江戸時代になると、また剃るようになります。江戸時代で髭を剃っていないのは、社会の一線からリタイアしたご隠居さんか、社会階層の低い人、さらに言えば泥棒のような悪人です。社会で現役の人は、武士も商人もかなりきちんと髭を剃っています。 髭を蓄えた写真が有名な大久保利通も、明治の初めまでは髭を伸ばしていませんでした。それが、岩倉使節団で欧米に視察に行くと、向こうの偉い人がみんな髭を蓄えています。それを真似て、帰りの船で髭を伸ばし始めたのでしょう。そういうこともあり、明治~昭和戦前期の政治家や軍人には髭を蓄えている人が多くいます。
「男らしさ」の誇示、「女らしさ」の強要が生み出すもの
ということで、「男らしさ」「女らしさ」は、時代や地域によってかなり変わるもので、簡単に言えるものではありません。 「男らしさ」「女らしさ」の問題で重要なことは、男女不平等な男性優位な社会では、「男らしさ」の誇示、「女らしさ」の強要が、女性に対する抑圧装置(男性にとっては権力装置)として機能することです。ジェンダーの権力性です。たとえば「女に学校教育はいらない」といった考え方です。無学・無知であることを「女らしさ」と結びつけ、女性の就学の機会を奪い、社会的地位の向上を制約し、社会的に抑圧していくのです。 それはけっして過去のものではなく、現代でもイスラム原理主義が強い地域などでは現実問題として存在します。 2014年に17歳の若さでノーベル平和賞を受賞したパキスタンの少女マララ・ユスフザイさんは、女子教育を否定するイスラム原理主義者によって、中学校のスクールバスを襲撃され、重傷を負います。幸い命を取り留め、以後、文字通り命がけで、女性が教育を受ける権利を訴え続けている人です。マララさんの事例は、「女らしくない」という決めつけ、「女らしさ」の強要、それに従わない女性の抹殺というジェンダーの権力性の露骨な表れであり、性差別です。