平安貴族の男性は涙が美徳? 「男なんだから泣かない!」がここまで浸透した背景
平安貴族にとって、涙は「すてきな男性」であることの証明?
2つ目の定義。ジェンダーとは「社会(文化)によって想定され、要求される『男らしさ』『女らしさ』」となります。ジェンダーを「男らしさ」「女らしさ」で定義すると一見、わかりやすいように思えるのですが、実はそう簡単ではありません。 「男らしさ」「女らしさ」とは、ある社会に生まれた者には、動かしがたい絶対的な属性(「常識」)のように思われますが、本来は相対的なものだからです。言い方を換えれば、社会によって、つまり地域・時代によってジェンダーの内実(「男らしさ」「女らしさ」)は異なるものになるということです。 たとえば、私の世代は、転んで膝を擦りむき泣いたら、両親からも周囲の人たちからも「男の子なんだから泣かない!」と言われて育ちました。なぜ男の子は泣いたらいけないのか、それは誰も説明してくれません。それが「当たり前」で、その社会の「常識」だからです。でも、どの時代もそうだったのでしょうか? 平安時代中期の『源氏物語』の主人公・光源氏はしばしば泣きます。では、光源氏が「男らしくない」かと言えばそうではありません。涙を流すことは豊かな感受性の表明であり、すてきな男性であることの証明なのです。 これは物語の中だけの話ではなく、同時代の権力者・藤原道長も日記『御堂関白記』を読むとけっこう涙を流します。少なくとも平安貴族は「男なんだから泣かない!」とは考えていなかったと思います。 では、いつから「男なんだから泣かない!」になったのか? おそらく江戸時代の武家の規範でしょう。戦国時代くらいまでは武士も時には泣いたはずです。そうした江戸時代に形成された武家の規範が、明治時代になって、学校教育を通じて士族以外の庶民にまで広められたのではないか? と推測しています。しっかりと調べたら『涙の日本史』みたいな本になると思います。 ちなみに、こうした武家の規範が、近代になって武士という階層がなくなったのにもかかわらず、学校教育によって広く国民全般に広められたことを「サムライ(侍)ゼーション」と言います。文化人類学者の梅棹忠夫先生が提唱した概念ですが、「性」に関わる規範ではこのサムライゼーションによるものがかなり多くあります。