韓国社会を切り裂く「5・18」 戒厳令騒動で「深すぎる分断」浮き彫りに
突然の戒厳令に端を発した混乱が続く韓国。現地へ飛んだ元NHKソウル支局長でジャーナリストの池畑修平が、韓国人なら誰もが知っている光州事件「5・18」をキーワードに、ここ数年でいっそう深刻化した韓国国内の分断と対立をリポートする。 【画像】戒厳令に抗議した市民が拷問・殺害された「5・18光州事件」
弾劾決議の国会前で…
12月14日、私は韓国の国会議事堂があるソウル・汝矣島(ヨイド)で、尹錫悦大統領の弾劾を求める大群衆の中にいた。 午後4時、最大野党「共に民主党」の院内代表・朴賛大(パク・チャンデ)が弾劾訴追案の趣旨説明で演壇に立つと、その様子が屋外の大型スクリーンに映し出された。冒頭、彼はこう述べた。 「2024年12月3日22時30分、大韓民国憲法が蹂躙されました。民主主義の心臓が止まりました」 尹錫悦が戒厳令を宣布したとき、たしかに韓国は民主主義から軍の統制下にある国家へと変質した。野党側は、今回の戒厳令騒動は内乱罪にあたると主張し、複数の捜査機関が尹錫悦の逮捕を狙っている。 朴が続いて口にしたのは、意外な人物の名前だった。今年のノーベル文学賞を受賞した作家のハン・ガンである。ピンときた。世界的な名声を博すこととなった作家も絡めて、今回の事態を、あの事件に重ね合わせるのだと。 「5・18」である。 韓国語での発音は「オー・イルパル」。1980年5月18日に南西部の光州で戒厳軍が市民を武力で弾圧した光州事件を指す。 果たして、朴はハン・ガンが光州事件を題材にした小説『少年が来る』の構想を練っているとき、「現在が過去を助けることができるのか」という問いを反転させるべきだと思うに至ったというエピソードに触れた。つまり、「過去は現在を助けることができるのか」とハン・ガンは自問するようになったのだという。 「答えは『できる』だと言いたいです。1980年5月が2024年12月を救ったのです」と朴は力を込めて語った。 そして、ダメ押しのように、彼は今回の戒厳司令部が出した布告と光州事件の前日に出された布告をそれぞれ読み上げた。政治活動やデモの禁止、メディアの統制、ストの制限など、両者の内容は「双子のようにそっくり」だと強調した。 汝矣島の群衆の間から「その通りだ!」といった反応が聞こえる。幼い子供を除けば、韓国で「5・18」を知らぬ者はいない。もし今回の戒厳令が一晩のうちに解除されていなければ、1980年に光州で繰り広げられたような流血の惨事が起きていたかもしれない、という思いを強めた人は多かっただろう。