鮨職人・幸後綿衣「鮨って“人間性”が出る。そこが厳しくて、おもしろいところです」
2023年11月に開業した「鮨 めい乃」の大将・幸後綿衣さん。大学卒業後、鮨職人となるべく名店で修業を積み、「鮨あらい」では二番手として個室のカウンターを担当。独立後の店では、連日、満席が続く。彼女はなぜこの世界を目指したのか。また彼女の鮨が人を惹きつけるわけとは。 ビジネス ストーリー
女性鮨職人は、“ブルーオーシャン”。でも修業の壁は、想像以上に高かった
── 大学卒業後、進路の選択肢がいろいろある中、なぜ鮨職人になろうと思ったのですか? 幸後綿衣さん(以下、幸後) 私は、就活を全然していなかったんです。やりたいことが見つからなくて。そうしたら父が「鮨屋になるのがいいんじゃないか」と言ってくれた。それがすごく腑に落ちたんですよね。食べることが大好きな家庭で育ったし、大学時代にはカフェ、バー、弁当店、アパレル……といろいろアルバイトを経験したのですが、その中で飲食業が一番、続けていけるイメージが湧きました。しかも鮨職人は、女性が少ない“ブルーオーシャン”だし、海外で活躍できる可能性もあるなと。 ── お父様から「鮨職人」を勧められたというのは意外ですね。 幸後 父も飲食系ではないのですが自営業で、先を見る力がある。私にも以前から「将来性があって、成功する確率が高い仕事に就け」と言っていました。
あと、私の「好きで納得したものしかやらない性格」をよく分かっていたからでしょうね。実は私、地元の北九州で中高一貫校に入ったんですが、途中でグレて辞めて、東京の高校に入った。それから勉強して大学に合格したんです。私は、目標さえあればすごく根性を出して頑張れるし、その目標を達成すれば周りも納得する、というのを体験済みだったんです。だから、苦労することは分かっていましたが、やってみようと。ただ、その時は鮨職人になる方法が分からなかったので、専門学校に入る感覚で「東京すしアカデミー」に1年通いました。
修業先でワインの世界にハマり、鮨職人兼ソムリエに
── その後、四谷「すし匠」、「西麻布 拓」、「鮨 あらい」と、そうそうたる名店で修業されて。 幸後 お店で実践的に修業をするなら、最も高いレベルの場所でないと、と思っていましたから、まずは当時、評判が高くて、実際に自分で食べに行った時も感動した「すし匠」に入りました。でも、そこで早々に挫折しそうになりまして……。 ── 職人の下積みって、過酷なのでしょうね。 幸後 男性ばかりで、体育会系の縦社会だったので、学生時代に部活の経験もなく、大学はキラキラした女子学生が多い環境にいた私には、ギャップが大きかったですね。何より「すし匠」は、昼夜、営業をしていたので、体力的にキツかった。同僚は若い男性ばかりで、ついていくのが大変で。 仕事ができない自分が不甲斐なくもありました。魚の頭落としや魚を下ろすことが上手くできない自分、 先輩から指示されても疲れきっているせいでミスしてしまう自分……。意志さえ強く持っていれば、たいていのことには耐えられると思っていたのですが、最初の1年くらいは、毎日、辞めたいと思っていました。