「あの人に出会わなければ私は弁護士にも議員にも市長にもなれていない」泉房穂が明かす“国会の爆弾発言男”との深い絆
「国会の爆弾発言男」と呼ばれた元衆議院議員・石井紘基氏は、2002年10月に暴漢によって命を奪われた。彼を「正義の政治家」と評する泉房穂は、遺志を引き継ぐ決意表明として『わが恩師 石井紘基が見破った官僚国家 日本の闇』(集英社刊)を上梓した。石井氏とはどんな人物だったのか。今も国民の暮らしを蝕み続ける、日本の官僚政治の問題点にも迫る。 〈画像〉泉房穂が師匠と仰ぐ故・石井紘基氏
「私があなたを選挙に通してみせます」
──石井紘基氏との出会いは、泉さんがテレビ局のディレクターとして働いていた20代の頃だったそうですね? 泉房穂(以下、同) 石井さんは当時、社会民主連合というミニ政党の事務局長を務めていました。名前なんか誰も知らない、いわば無名の人。ただ、本人なりに国会議員になることを決意して、その理由を『つながればパワー 政治改革への私の直言』(創樹社、1988)という本にまとめて出版したわけです。 高田馬場の芳林堂書店でたまたま手にした私は「こんな人おるんや!」と感動しました。タイトルの“つながればパワー”とは、“市民と市民がつながれば世の中を変えられる”という意味。 当時は今以上に大政党や業界団体に担がれないと立候補すらできない時代でした。そんなときに市民を信じて立候補しようとしている大真面目な大人がいると知って、20代の私は「あ、見つけた!」と思いました。すぐに「あなたのような人に政治家になってほしい」と手紙を書いたのです。 ──泉さん自身も、子供の頃に貧困と差別という理不尽に直面し、10歳で「将来、明石市長になる」と決意されたそうですが、まだ具体的なロードマップは描けていなかったのでしょうか? 当時は悶々としてたなあ。政治家を志しながらも、そんな活路は見出せないと思っている状況の中で手にした本だったから、石井さんに自分自身の夢を託すというか。市民を信じるというスタンスでも政治家になれることを、石井さんを通じて証明したいと思ったことが大きかったと思います。 石井さんから思いがけず手紙の返事が来て、初対面でいきなり「選挙を手伝ってくれないかな?」と言われたときは驚いたけど、二つ返事で「私があなたを選挙に通してみせます」と言いました。すぐに仕事を辞めて石井さんの家の近くに引っ越したんです。どうかしてるよね(笑)。それから1年間、スタッフとして行動を共にしました。
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