太平洋戦争「幻の名機・烈風」をご存じか…? 元テストパイロットの告白「もし2年開発が早かったら戦況は違っていた」、その”スゴすぎる実力”…!
「幻の名機」として知られる艦上戦闘機「烈風」を大特集した老舗軍事雑誌「丸」2月号が話題となっている。機体生産が遅れ、太平洋戦争の実戦投入には間に合わなかったが、零戦をしのぐ空戦性能には、ベテランのテストパイロットたちも舌を巻いたという。元三菱重工名古屋航空機製作所テストパイロット、柴山栄作氏がかつて同誌に寄せた手記から当時の状況を一部抜粋・再構成してお届けする。 【写真】軍事誌発「伝説の航空機本」、そのすごい中身を公開する…!
初期の試験飛行では「鈍重」、発動機の馬力不足が原因
第一回目の試験飛行が行われたのは昭和19年5月だった。私の見るところ、零戦に似ているとは言うものの、なんとなく鈍重で、むしろ艦攻といったほうが似つかわしいとさえ感じられる機体だった。 この日以来、試験飛行は何回となく続けられ、舵の効きや脚部などの不具合は改修されたが、いぜんとして上昇力は弱く、速力も予期されたレベルに達せず、発動機の馬力不足という結論となった。
奮起した技術陣、操縦性・安定性とも申し分なし
初期の飛行試験で馬力不足を痛感した技術陣は、誕生したばかりの新しい“金星”エンジンと換装することになった。そして、10月ごろになって、新発動機を採用し、カウリングも一回り大きくなった新機体が完成。「烈風」の制式名が与えられた。 性能向上ぶりの飛躍は顕著だった。速力は333ノット、上昇力も6000メートルまで7分と少しくらいで到達した。当時としては大変な記録で、関係者一同はそれまでの苦労を吹き飛ばして喜び合った。操縦性、安定性ともに申し分のない、見事な出来栄えだった。新考案の空戦フラップが装備されるにおよんで、いよいよ本機の真価が決定的となった。
完成が2年前倒しなら戦局に影響したはず
話はそれるが、試作の当時、発動機を「誉」にするかMK9Aにするかで、だいぶん揉めたらしいが、海軍側は高翼面荷重に難色を示し、そのため「誉」1600馬力に決定された。もし仮に初めから三菱側の希望通りのエンジンを採用していたら、何機かは実戦で活躍できたのではないか。 少数機が活躍したからといって、戦争の結末が変わるというわけではないが、烈風が2年前に完成していたら相当に戦局は変わったに違いない。この気持ちは決して私だけの独りよがりの弁ではないと思う。
潮書房光人新社