70代女ひとりの食卓はほぼ毎日「薄味ちゃんこもどき」。薄味に慣れ過ぎて外食できないのでそれもまた節約
連載「相撲こそわが人生~スー女の観戦記』でおなじみのライター・しろぼしマーサさんは、企業向けの業界新聞社で記者として38年間務めながら家族の看護・介護を務めてきました。その辛い時期、心の支えになったのが大相撲観戦だったと言います。家族を見送った今、70代一人暮らしの日々を綴ります 【写真】定番メニューは… * * * * * * * ◆男の胃袋をつかめなかった料理自慢 「私は料理が得意なのよ」と言う一人暮らしの65歳の人の家に、友人と遊びに行ったことがある。私と友人が60歳になったからお祝いをしてくれる、と言うのである。 いろいろな具の入った太巻き、卵焼き、お吸い物がでてきた。 食べたら、太巻きのごはん部分は酢がきつすぎ、お吸い物の味も上品ではなく、卵焼きの味も良くなかった。どこが料理が得意なのか分からない。友人の顔からも「まずい」は受け取れた。 しかし、彼女はそれに気づかず、若い頃の話をはじめた。 「『男の胃袋をつかめ』というでしょ。あれは嘘ね。20代の時、結婚したい彼ができて家に招いて御馳走したのに、結局別れた。30代の時に出会った彼にはお弁当まで作ってあげたのに、結婚できなかった」 帰り道、友人が「男どもは逃げて良かった。良い人だと思っていたけど、料理で幻滅して、私も付き合いたくなくなった」と厳しいことを言っていた。その後、私は彼女に会うたびに、あのまずい料理を思い出した。
◆「甘ければ甘いまま食べれば良い」 私の母は、私に料理を全く教えてくれなかった。母の母親(私の祖母だが)も母に料理を教えなかったそうである。ふたりとも結婚した相手が自営業で、その仕事を一緒にしていたからだ。夫はいまどきのように家事や子育てを手伝うことがなかった。そのため、母たちは子供に料理を教える時間がなかったのだ。 母は土井勝の料理本をよく読んでいた。「母親に教われなかったことを土井勝が教えてくれる」と言っていた。 私は母の作る料理を美味しいと思ったことがない。子供の頃、毎週末に泊まっていた母の実家の祖母が作った料理を美味しいと思っていた。 私が高校生の時、お昼になると生徒たちのお弁当を見て回り「少し食べさせて」と言う女生徒がいた。家業の米屋を継ぐつもりで、お米と合う美味しいおかずを研究していたのである。 しばらくして、彼女は私に、「あなたのお母さんの作ったのが最高だった。おかずの彩りも良いし、味も良いし。うちは米屋だけど、あんなにおいしくお米は炊けない」と言った。 周りにいた友人たちは「すごいわね」と、ほめてくれた。 そのことを伝えたら、母は大喜びすることはなく、本音を言った。 「料理をするのは好きではないの。毎日、毎日、義務だと思って作っているだけ」 そして、母は私の友人の母親に、「娘に『いつも海苔が二段の弁当で美味しくない。しろぼしさんのお母さんみたいのを作ってよ』と頼まれ迷惑している」と言われ、不愉快になっていた。 母は、新潟県に住んでいた母方の祖父(私の曾祖父)の話をよくしていた。 祖父は妻が「今日の料理は少し甘過ぎました」と言うと、「甘ければ、甘いまま食べれば良い」、お嫁さんが「今日の料理は辛すぎました」と言うと、「辛ければ、辛いまま食べれば良い」と言ったそうである。そのため妻もお嫁さんも料理に対する苦労がなかった。母はその祖父を尊敬していたから、「今日の料理は美味しいかしら?」などと家族に聞くことはなかった。
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