歌舞伎評論家・渡辺保先生に聞く、初心者のための鑑賞の心得&注目の若手歌舞伎俳優
「落ちるの一秒、ハマると一生」と言われる歌舞伎沼。その深淵をのぞき、沼への入り方を指南する本連載。5年にわたって連載を担当してきた初代まんぼう部長が、このたび、初代黒御簾おかみを襲名し、新担当者が二代目まんぼう部長を襲名する運びとなりました。そこで初代部長のたってのリクエストで、襲名記念スペシャル企画として、歌舞伎評論家の大家として知られる渡辺保先生にご登場いただくことに!! 「えっ、バイラにあの保先生が!?」「こんなカジュアルな企画に重鎮がご登場とは!?」と編集部も騒然。初代部長もばったり小僧もびくびくでしたが、保先生はたわいない質問にも丁寧にやさしくお答えくださって、二人は感謝感激。初心者に向けての歌舞伎の見方や今、注目の若手俳優についてお話を伺いました! 【歌舞伎沼への誘い】歌舞伎スターへの取材&インタビュー(写真)
歌舞伎評論家 渡辺保 ●わたなべ・たもつ 1936年、東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、東宝に入社し、在職中の1965年、『歌舞伎に女優を』で評論デビュー。企画室長を経て退社後は、演劇評論家として活動する一方、多数大学にて教鞭をとる。著書に『歌右衛門伝説』『増補版 歌舞伎手帖』『歌舞伎ナビ』『吉右衛門:「現代」を生きた歌舞伎役者』など多数。昭和27年から記録しつづけている観劇ノートを書籍化した『観劇ノート集成』(全10巻予定)が現在、第9巻まで刊行。2000年、紫綬褒章受章。2024年、文化功労者にも選ばれた。毎月の歌舞伎劇評を読むことができる公式サイト「渡辺保の歌舞伎劇評」も人気。NHKカルチャー 青山教室での講座『今月の芝居・来月の芝居 歌舞伎をもっと愉しむ』も好評。
■すべてをわかろうと思うのは現代人の悪い癖(笑)。一番大事なのは、役者の姿を無心で見ることです。
初代まんぼう部長 今回は、連載のスペシャル版ということで、歌舞伎の評論家の重鎮でいらっしゃる渡辺保先生のご登場です。保先生、ありがとうございます!! ばったり小僧 初心者がどんなふうに歌舞伎を楽しんだらいいのか、また注目の若手の俳優さんなどについてもお伺いできればと思いますので、よろしくお願いいたします! 渡辺 わかりました。僕は80年以上も歌舞伎を見てきたけれど、今ほど若手の役者がそろっている時代はないですからね。みんな、勢いもあって、やる気もある。彼らにもっと活躍してほしいと思っているんです。それで初心者向けということだったので、まずは初めて歌舞伎を見るときの心得を簡単に十カ条にまとめてみたので申し上げます。 ●渡辺保式・歌舞伎初心者のための十カ条 ①ひいき役者を作ること ②物語をよく知ること ③役者の姿を味わうこと ④それも単に体を見るのではなく、芸の身体を見ること ⑤芝居の型を知ること ⑥人間を見ること ⑦鳴物をよく聞くこと たとえば『寺子屋』の幕開きで、下座で「隣柿の木」を唄うか、「恋の仮名文」を唄うかで、舞台の雰囲気が変わります。前者なら自然派、後者ならば、寺子はラブレターの書き方を勉強しているという皮肉になります。 ⑧踊りを見る目を養うこと ⑨歌舞伎だけを見ないで、他の芝居も見ること ⑩以上を考えたら、無心になって見ること 部長 あの……保先生、初心者向けというには難度が高いような(笑)。 渡辺 そお? これができたらツウになれる。 部長 いやいや、先生、ツウになるのはとんでもなく大変なことなので(笑)、まずは簡単なところからお伺いできたらと思います。 渡辺 まあ、色々書きましたけれど、一番大事なのは⑩無心になって見ること、ですね。 部長 あまり難しく考えなくていいということでしょうか。 渡辺 そうです。白紙で見るということです。そもそも歌舞伎が誕生した江戸時代の識字率って50パーセントくらいなんですよ。二人に一人は字が読めない。みんな難しい筋なんてわからないから、子どもにも老人にも誰にでもわかる芝居を作った。それが歌舞伎なんです。現代人が考えるように文学的な話でもなければ、難しい思想もないんですね。 だから前もって見どころを勉強するとか、解説を読むことを僕はおすすめしません。こう見るのが正解ですよっていうのは、しょせん他人の目で見ていることだから意味がない。それより手ぶらで行って、舞台を楽しんでほしいと思っています。 小僧 それは初心者には嬉しいアドバイスですけれど、歌舞伎って言葉も難しいし、予備知識がないとよくわからないところがありますよね。 渡辺 そうやって全部わかろうと思うのが、現代人の悪い癖(笑)。全部なんてわかりっこないんだし、細かいことは、だんだん知っていけばいいんです。それより最初はとにかく舞台にいる役者の体に集中することです。 というのも、歌舞伎を作った人たちは、誰にでもわかる芝居を作ろうとして、何をやったかといえば、ぱっと一目見てわかるようにした。つまり視覚的にしたわけです。でも、当時は照明や大道具などの材料は限られていますよね。それでどうしたかといったら、役者の「体」というもので表現することを考えた。その人物がどういう局面に立っているか、どんな感情を持っているかということを言葉で説明するのではなくて、役者の体を使って空間に造形する、デザインするということをやったわけです。身体言語による表現ということですね。 だから“見得”なんていうものができたわけです。見得というのは、その人物の感情の昂りを表現するひとつの型ですけれど、見得の種類なんかわからなくても、役者の姿に集中していれば、ああ、怒っているんだなとか、その人物の感情は伝わるはずなんですよ。 だから一番は役者の体を見なきゃダメ。そこが基本です。 部長 なるほど。本来は俳優さんの姿を見ていれば、わかるようになっていると。 渡辺 そういうこと。女方もそうです。女性を空間に描きだす、デザインするということをしたわけ。たとえばある人はこういうことを言ったんですね。「あの女方の色気は二の腕にある。それは芸で稼いだ体の魅力だ」って。「芸で稼いだ体の魅力」なんて聞くとゾッとするけど(笑)、ようするに芸が作った身体の魅力ということです。 だって二の腕といったって、着物を着ているから露出してるわけじゃないんだよ。見えてない。それなのに二の腕の色気を感じるのは、芸の身体の成せる技ということなんだね。 小僧 すごい。俳優さんたちはそれを意識してやっているんでしょうか。 渡辺 いや、無意識でしょうね。でも、踊りの練習を積み重ねるとか、音曲を勉強するとか、稽古によって培われた感性があって、それによって二の腕の色気がデザインされるということ。それが「体が稼いだ魅力」っていうことになるんですね。③役者の姿を味わうこと、④芸の身体を見ることっていうのはそういうことです。 部長 つい頭で考えて理解しようとしがちですが、それよりも役者の姿に集中して、何が起きているのか、それを感じ取ることが大事なんですね。 渡辺 そうですね。名優の条件に「子どもに芸が通じるかどうか」ということを言う人もいます。実際、僕が初めて歌舞伎を見たのは6歳のときで、物語なんて全然わからなかったけれど、六代目(尾上)菊五郎の魅力にとりつかれちゃったわけです。だから難しいことを考えずに、まずは手ぶらで劇場に行きなさいって言いたいですね。