【ボートレース】上瀧和則が電撃引退、今村暢孝が4か月の出場停止処分 / ボート界8月の重大ニュース
上瀧和則が電撃引退
エースのジョーこと、上瀧和則(佐賀56歳60期)が7月3日の大村を最後に電撃引退した。 烏野賢太、濱村芳宏、川崎智幸、谷川里江ら強豪でなおかつ個性派ぞろいの60期の最年少にして在校勝率1位の看板を引っ提げて鳴り物入りで87年5月に唐津でデビュー。2期目にはA級に昇格し、4期目には勝率6点台と順調に成長。3年目には記念に呼ばれ、4年目の91年1月地元唐津周年でGI初優勝を果たした。SGは2年4か月目に福岡メモリアルで初出場を果たし、3年1か月目に初優出。96年10月の福岡ダービーで最大のライバルだった植木通彦さんに競り勝ち、初優勝した。 エンジン出しとスタート力が武器で若かりし頃は典型的なまくり屋だったが、誰よりも早くモンキーターンを習得し、いつしかイン屋に転向。SG4冠、GIは17勝。勝率8点台は8期あり、年間タイトルは89年に最優秀新人、93年に最高勝率に輝いている。 転機は11年3月。選手会副会長就任のため現役を退き、翌12年6月から5期10年間に渡って選手会長を務めた。持ちペラ制度の廃止、最低体重制限の導入、選手数適正化のため、凍結されていた4期通算勝率の復活などを推し進めた。さらに、「どんなプロスポーツも選手会長は現役選手が務めている」と5期目には後進のため自ら走る選手会長を選択してレースに復帰。その志は現瓜生正義代表に受け継がれている。 引退のきっかけはラストランとなった大村でのF。勝負がかかっていないレースでFを切ったら引退する…と心に決め、それを大村の前走地だった平和島で公言していた。 通算成績は5455走で勝率7.23、1756勝、優出237回、優勝85回、生涯獲得賞金は約17億1470万円で歴代24位。また1人、ボート界の歴史に残る名物選手がカポックを脱いだ。
吉田裕平が地元常滑で完全V
7月27日からの常滑一般戦で、地元の吉田裕平が自身初となる7連勝の完全Vを達成した。今年は小池哲也、前田将太、毒島誠、関浩哉に続く5人目の快挙。 吉田は常滑市出身で愛知2場では常滑が純ホーム。昨年の蒲郡ダービーではSG初出場でいきなり優出し、3着に食い込んだことは記憶に新しい。 前走地の丸亀でも準優、優勝戦と勝ち、2節連続優勝で9連勝だったが、10連勝目となる次節の蒲郡お盆戦は1走目がなんと6号艇。さすがに3着と敗れてしまい、連勝はここでストップした。