【箱根駅伝】青学大・原監督 マラソン強化めぐり…日本陸連に舌鋒「もっと現場に下りてこないと」
名将が描くビジョンとは――。来年1月2、3日に行われる東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)で、青学大の原晋監督(57)が2年連続8度目の総合優勝に自信をのぞかせている。今回の単独インタビューでは、先行逃げ切りを図るレースの展望や、主要区間の配置選手を明言。さらにはOBの活躍を通して感じた箱根駅伝の意義、4年後のロサンゼルス五輪に向けてマラソンの強化を進める日本陸連の問題点、スポーツ界を巡る改革案にも言及した。 【写真】箱根駅伝の目標をつづった原監督 ――出雲駅伝、全日本大学駅伝はともに3位だったが、前向きな言葉が目立っている 原監督(以下原)箱根を逆算して考えたら、夏合宿のトレーニング自体は走り込みが中心になってくるので、出雲の短い区間に対応し切れないのが現実的なところ。出雲、全日本大学仕様のトレーニングも多少は入れ込んでいるが、あくまでも箱根に合わせたトレーニングの流れの中でやっている。2戦ともに全くレースに絡むことなく負けたのであれば危機的状況だが、一応ベスト3に入って、一時は先頭にも立っているので、決して悲観的には思っていないです。 ――順調に調整が進んでいるという箱根駅伝のプランは 原 前半の1、2区の早い段階から先頭に立って山上り決戦に入る。5区にタスキを渡す時点で2分以上は差をつけて、若林(宏樹、4年)にタスキを渡したい。それで3分以上のリードを奪って、復路は楽に(ゴールの)大手町に帰ってきたい。コンディションが整っていけば、10時間40分切りを目標にやっていきたい。それぐらいのポテンシャルは10区間の選手たちが持っている。ダントツにぶっちぎり優勝したいですね。 ――区間配置はどう考えているのか 原 だいたいの大枠のところでは、2区は黒田朝日(3年)かな。コースの適性が彼にばっちり当たっているので。5区の山上りは若林、山下りの6区は野村昭夢(4年)で、この3人については、ほぼほぼ確定的なところで考えている。あとは荒巻(朋熙、3年)、鶴川(正也、4年)、太田(蒼生、4年)を往路でどう使っていくか。この3人の直前の状態を見て、25~26日ごろに判断していくような流れになると思います。 ――12月1日の福岡国際マラソンでは、青学大OBの吉田祐也(GMOインターネットグループ)が日本歴代3位の2時間5分16秒で優勝した 原 そもそも論で、日本人の戦える領域はマラソンしかないと思っている。今回の吉田祐也でも2時間4分30秒が切れると思っているし、近い将来には間違いなく3分台も出る。そうすると、十分マラソンで世界と戦えるレベルになってくるのでは。マラソンはコツコツ努力していく下地が必要で、マラソンのスピード強化のためにはハーフマラソンの余裕度を上げなければいけないが、箱根駅伝というコンテンツを利用して、ハイペースで約20キロを走るレースをしている。箱根駅伝は長い距離を走るベースにプラスで、マラソンの中間地点の余裕度を上げるハーフマラソンの強化にもうってつけなんですよ。 ――マラソンといえば、日本陸連はロサンゼルス五輪の代表選考で「ファストパス」(※)を導入した 原 そもそも日本陸連の人たちが、もっと現場に下りてこないといけない。日本陸連の人が視察と称して現場に来たことはない。日本陸連として強化をするにあたって、現場の指導者との懇親会、戦略会の機会は持つべきだと思う。正直、日本陸連からいきなり言われても、何も現場には下りてこない。数字遊びをするなという話で、どういうメソッドを持った上でタイムを狙うのかと。(2時間)3分台で走った日本人は誰一人いない。数字だけ独り歩きして、現場に意識づけもせずして勝手にやるなという話ですよ。 ――陸上界の課題は山積みだが、原監督が今後やってみたいことは 原 もしお話があればスポーツ庁長官には興味がある。最近、特にスポーツ界、ビジネス界の「界」というくくりが好きじゃない。あなたはスポーツ界の人でしょ? あなたはビジネス界の人でしょ?みたいな感じは、おかしいと思う。スポーツを通じてコミュニケーション能力、計画力、分析力、突破力などを養っている。ゴールから逆算していくメカニズムはスポーツ界でもビジネス界でも同じ。だから、スポーツを引退した選手でも、ビジネスの方でセカンドキャリアに生かされるはずなので、新しいスポーツのあり方を世の中に広げていきたいです。(インタビュー・中西崇太) ※来年3月から2027年3月までのレースで、設定タイムを突破した最上位の選手が内定する制度。男子の設定タイムは2時間3分59秒。 ☆はら・すすむ 1967年3月8日生まれ。広島県出身。世羅高で主将として全国高校駅伝準優勝に貢献。中京大3年時には日本インカレ(日本学生選手権)の5000メートルで3位入賞を果たした。中国電力では5年間選手として活動。引退後は同社の営業部で輝かしい実績を残し「伝説の営業マン」と呼ばれた。2004年に青学大陸上競技部監督(長距離ブロック)に就任。15年~18年には史上6校目の箱根駅伝4連覇を達成した。19年からは同大地球社会共生学部の教授も務める。
中西崇太