考古学発祥の地、大田原市湯津上 水戸黄門が発掘した古墳 栃木県が330年ぶりに調査 味・旅・遊
調査が行われたのは元禄5(1692)年。時代劇の「助さん」のモデルとされる家臣の佐々介三郎宗淳(むねきよ)が発掘調査にあたった。
最初は碑の下を掘ったが何も出なかったため、地元で国造の墓と伝承があった上侍塚と下侍塚の2基の古墳を発掘。古墳からは鏡や管玉(くだたま)、鉄鏃(てつぞく)などが出土したものの、被葬者の名を記した墓誌などは見つからなかった。このため出土した遺物は絵師に描かせるなど調査記録に残したうえで松で作った箱に納め、再び埋め戻された。
その後、僧が「那須国造碑」を見つけ、最初の発掘が行われた場所に光圀が創建したのが笠石神社。日本で唯一碑をご神体にしている。佐藤さんは「那須国は豊かだったでしょう。有力な権力者がいて、進んだ技術とたくさんの労働力がなければ、あんなに大きなお墓はつくれない」と力説、「湯津上は中央の朝廷と深いつながりをもつ重要な地域だったと思います」と話した。
光圀が発掘した上侍塚、下侍塚の2つの古墳では県が再び発掘調査を進めている。上侍塚の調査は光圀以来、約330年ぶり。新たな解明が期待される古代歴史の地を、一度訪れてみてはいかがだろうか。
(伊沢利幸)
■笠石神社 栃木県大田原市湯津上430。東北自動車道の矢板ICから約40分。神社から上侍塚古墳、下侍塚古墳まで徒歩10~15分。本殿には日本三古碑の一つとして数えられる国宝「那須国造碑」がご神体として祭られている。予約すれば拝観料が必要だが、公開している。