エネルギー小国日本の選択(14) ── 原発事故の被害と高まる反原発論
事実、海外政府が原発事故後に日本から輸出される食品の検査強化を求める動きは強まった。特定地域の産品の輸入を規制するといった措置が今も取られている。輸出できる場合でも、安全性を保証する検査証明書を付さなければいけないなど、手続きは面倒になっている。 被ばくした食品の記事を書くに当たって、風評と実害をどう書き分けるかをめぐり揉めたことが、報道側でもあった。「放射性物質に汚染されているという風評で、基準値を下回っていても東北の農作物が売れない」といった場合、単に風評と言いきれないもどかしさもある。「たとえ基準値以下でも、本来あるべきでない放射性物質が含まれていれば、それは害であり、食べたくないという人はいる」。そんな議論が続いた。神経質な問題でなかなか答えが1つに定まらない。汚染米と一言で書いてしまいつつも、農家の方々への申し訳なさをいつも感じる。
見えない不安
原発事故により放射性物質が飛散し、福島第1原発の周辺地域を中心に、人が住めなくなった。 東日本大震災が起きた2011年3月11日に原子力災害対策特別措置法に基づき、原子力緊急事態宣言が発令された。全容が把握できない不安に覆われる中、同日中に福島第1原発から半径2kmの区域の住民らに避難指示が出された。 徐々に対象地域は広がっていった。原発から20km圏内を立ち入り禁止の「警戒区域」、20km圏外でも放射線量の高い地域を「計画的避難区域」として住民は避難を余儀なくされた。20~30km圏内を「緊急時避難準備区域」とし、いざという時には避難や屋内退避の対応を住民に求めることにした。 原発に近いほど高線量で帰還は困難となっている。今も震災直後の街並みがほとんど復旧しないまま残り、人気(ひとけ)が無い。野生のイノシシなどが徘徊し、荒廃しているようだ。 計画的避難区域は原発から北西方向、飯舘村などが対象となった。このほか、風向きなどにより局所的に線量が高い地点は「ホットスポット」と呼ばれ、「特定避難勧奨地点」として避難が促された。 こうした目に見えない放射性物質が飛び散る方角や量を予測する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」は即座にはほとんど機能しなかった。予測に必要なデータが、原発の全電源喪失により得られなかったことなどが理由だ。加えて問題視されたのが、情報公開への消極姿勢だった。 3月15日に原発が爆発した際、気象データなどから飯舘村や浪江町に放射性物質が拡散するとの試算結果を、原子力安全委員会(今の原子力規制委員会)は得ていた。だが、結果を初めて公表したのは3月23日になってから。こうした遅れが海外の政府やメディアからも批判を浴びた。 1979年のスリーマイル島原発事故の教訓から開発が始まったSPEEDIは、総事業費が100億円を超えていた。安全委の防災指針で、緊急時の避難を判断する際に活用されるものと位置付けられていたものの、期待外れに終わった。指針はその後2015年に見直され、原発事故時にSPEEDIを重視する方針も撤回された。