【政治解説】「自民党支持層が離れるのは致命的」内閣支持率7か月連続で“危険水域”その意味とは… NNN・読売新聞 5月世論調査解説
NNNと読売新聞が今月17日から19日まで行った世論調査で、岸田内閣の支持率は26%と、7か月連続で20%台でした。支持率20%台は“危険水域”ともよばれますが、過去に長くその水域にとどまった内閣は、その後、どうなったのでしょう。また、次の衆院選後の政権について、「自民党中心の政権の継続」と「野党中心の政権に交代」がともに42%で、きっ抗しました。“政権交代”を望む声の高まりを永田町ではどのように受け止めているのでしょう。日本テレビ政治部デスクの竹内真と、解説委員の菅原薫の同期コンビが解説します。 【動画】自民党内からは「政権交代を“認める”空気感が出てきている」との声も...
7か月連続“危険水域”の意味とは
【竹内】 今回の世論調査で、岸田内閣の支持率は26%でした。7か月連続の20%台で、今の調査方式(電話調査)になってから、連続で20%台以下となった期間が最も長くなりました。これまで最も長かったのは麻生内閣のときで、2008年の12月から2009年の5月までの6か月間でした。このときは、2009年の6月に一時、30%に上がったものの、7月、8月と再び20%台以下となり、その年の衆議院選挙で敗北、退陣しました。 【菅原】 民主党政権のときにも、後半は低い支持率が連続していましたよね。 【竹内】 そうですね。ただ、連続という意味では、菅内閣も野田内閣も、20%台以下を記録したのは、一番長くて2か月連続でした。小康状態になって30%台に回復するけれど、また下がると、そういう形だったんです。ですから、岸田内閣のように、20%台以下でずっと持ちこたえるというのは珍しいことです。ただ、世論調査を面談形式で行っていた時も含めると、何と9か月連続で20%台以下を記録した政権がありました。 【菅原】 自民党政権ですよね。やはり、政権交代の前でしょうか。 【竹内】 そうなんです。宏池会の岸田首相にとっては先輩にあたる、宮沢喜一元首相のときで、1992年の10月から翌93年の6月までの9か月間連続で20%台以下でした。そして、最後は10%台になり、このときも総選挙で敗北、退陣しました。20%台以下が連続してから復活したケースもないというわけではありません。小渕恵三内閣は、4か月連続で20%台が続きましたが、そこから復活しました。