正月に能登を襲った大きな揺れ。古い木造家屋の自宅の壁や柱は崩れ、6ヵ月以上経つ今も戻れぬまま。前を向きたくても現実は厳しく
◆壊れた壁や柱は今も崩れ落ちたまま 避難所で一番疲弊したのは、他人との生活でした。もともと人と接することが苦手な私にとって、知らない人と24時間過ごすこと、気を使って自由にトイレにも行けないことは何よりのストレス。 そして65歳の母のことも心配でした。避難直後、母は家のことばかり考えていたようです。家を出るときに、崩れ落ちた内壁を見たためでしょう。戻って少しだけ様子を見たいとしきりに言うので、よくないと思いつつも叱りつけてしまいました。 しばらくして、家に戻れない私たち親子は、金沢の宿泊施設に移ることに。いわゆる二次避難です。そして現在もまだ宿泊施設のお世話になっています。 地震の数日後になんとか申請した罹災証明書の結果が最近届いたのですが、認定の内容に不服があり二次申請をするつもりです。 しかし再調査の日程を決めるだけで2ヵ月以上はかかるらしく、二次の結果が出るのはもしかすると夏を過ぎるかもしれません。その調査があるため、壊れた壁や柱は直すことができず、今も崩れ落ちて断熱板が見えたままになっています。
あれから半年あまり。私が思うのは、以前の生活には戻れないのだな、ということ。家から歩いて行ける距離にあった唯一のコンビニや、クリーニング屋さん、饅頭店までもが閉店しました。 修理の済んでいない家に、安心して住むことはできません。それでも明日は否応なしに来る。今は避難先の金沢から電車で片道3時間ほどかけて家に戻っては、ひとつずつ片づけて過ごしています。 震災から時間が経ったら、被災者は希望をもって前を向くべきなのでしょうか。現実は、そう簡単にはいきません。明日どこで寝て、何を食べられるのか。一日でも早く家に帰るためには、手続きはどうすればよいのか。そんな「最善の道」をただ探して動いていたら、いつの間にか季節が変わるほど時間が経ってしまいました。 これから先どうするのかもまだ決められていません。ひとまず二次避難先の滞在期限は7月末なので、それまではお世話になろうと思っています。 被災した家は、今は亡き祖父が建てたものです。本当によくぎりぎり倒れないで保ってくれたなと思います。祖父は、家を大事にする人でした。 そんな祖父の笑顔の遺影が、今は人の気配のなくなった部屋にあると思うと、何だか寂しい気持ちになります。
◆被災地復興に向けての支援・ボランティア もう震災の前の状態には戻れない。それでも、美咲さんたちは「最善の道」を探して進み続けています。 被災地の方々に向け、私たちは何ができるでしょうか。 内閣府による防災情報のページでは、令和6年能登半島地震被災地への、支援・ボランティアを希望する方への情報を発信しています。 ●令和6年能登半島地震 ボランティア・被災地への支援をお考えの方へ https://www.bousai.go.jp/updates/r60101notojishin/volunteer.html
中川美咲
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