一族3代でジョッキーに… 黛一家の知られざる物語
昨年の暮れ、12月21日の中山競馬場。3Rの2歳未勝利戦に出走したシュエットアムール(牝・西田)の手綱を取ったのは黛弘人騎手だった。彼が騎乗したのには理由があった。同騎手のお父様は黛幸弘氏。オールドファンには懐かしい元ジョッキーだ。 1957年11月生まれの黛幸弘元騎手。その父の文男氏は大井競馬で騎手をした後、浦和競馬で厩務員となった。そんな家庭で育ったため、小学生になった頃には馬にまたがっていた。 「佐々木竹見さんに憧れ、地方競馬で騎手になりたかった」という少年期を過ごした幸弘氏だが、意外なことに父からは反対されたという。それでも強い意志を持っていることを示すと「中央競馬なら…」と許可してもらえたそうだ。 こうして77年、中央競馬で騎手デビュー。82年に結婚すると、85年に生まれた次男が弘人騎手だった。そんな幸弘氏を突然の不幸が襲ったのは94年。 「『風邪をひいたみたい』と言った妻が、病院で診てもらうとウイルスに侵されていて、あっという間に他界してしまいました」 すると、週末、家を留守にして調整ルームに入らなければいけない規則が幸弘氏を苦しめた。結果、鞭を置くことを決意。96年から調教助手に転身すると、2001年に高松宮記念とスプリンターズSの両GⅠを勝ってJRA賞最優秀短距離馬に選定されたトロットスターを担当した。 22年には定年を迎えトレセンを離れた幸弘氏だが、現在は欠員が出た際の臨時要員として登録。西田厩舎で担当したのが冒頭で記したシュエットアムールだった。父が馬を引き、息子の黛弘人騎手が騎乗したのだった。 さて、この親子がタッグを組み、15年の牝馬クラシック戦線に挑んだのがノットフォーマルだった。同馬はこの年のGⅢフェアリーSを勝利。レース後には幸弘氏の妻、弘人騎手にとっては母の墓前で親子での重賞制覇を報告したそうだ。そんなフェアリーSが今週末、行われる。果たして今年はどんなドラマが待っているだろう。(平松さとし)
東スポ競馬編集部