“負け”からドウデュースの乗り方発見した武豊
【競馬人生劇場・平松さとし】 2024年度のJRA賞が7日に発表され、年度代表馬にはドウデュースが選ばれた。5歳だった昨年、天皇賞・秋とジャパンCを連勝。スローペースを後方から豪快な末脚で差し切った競馬ぶりは“勝利”という記録だけでなく、強烈に印象に残るそれでもあった。 【写真あり】意外な人物と2ショットの武豊 「これはすごい」「素敵すぎます」の声 こうして2歳から5歳までの4年間、毎年、計5つのG1を制したドウデュース。3歳時の22年には後にレーティング世界1位を獲得するイクイノックスを破って日本ダービーを優勝した。しかし、そこへつながる道は決して平たんではなかった。3歳初戦の弥生賞で2着に敗れると、続く皐月賞が3着。2歳時には朝日杯フューチュリティSを含む3戦3勝だったことを思うと、完全に勢いが止まったかと思われた。 しかし、この時点まで全てのレースでタッグを組んでいた武豊騎手の心中は違った。中山で行われた1冠目に負けた直後の、指揮官である友道調教師との会話を次のように振り返った。 「負けたけど、最後には良い脚で伸びていたので“これなら次(ダービー)はやれそうですね”という話をしました」 そして、さらに続けた。 「こういう乗り方をしたらドウデュースには合わないというのが分かったのも良かったです」 転んでもただでは起きないのが天才騎手たるゆえん。皐月賞での反省材料を生かし、見事に自身6度目となるダービージョッキーの座を射止めてみせたのだ。 さて、先述した通り4年間にわたって活躍を続けたドウデュースだが、不思議なことに海外遠征においては運がなかった。初の遠征で凱旋門賞制覇を目指した22年のフランスではニエル賞4着、凱旋門賞19着と全く持ち味を発揮できなかった。翌23年のドバイ遠征時は歩様が乱れ出走を取り消し。リベンジを期した24年のドバイターフは出遅れて5着。これらが彼の実力でないことは国内での実績から明らかで、海の向こうでの栄冠は年度代表馬の子供たちに託したい。(フリーライター)