『シビル・ウォー アメリカ最後の日』ISOさん・奥浜レイラさんはどう観たか。対話なくジャッジする怖さ
ジェシー・プレモンス演じる謎の兵士のシーン 「自分もやってしまっていないか? という怖さがある」
本作で観た人の心を激しく揺さぶるシーンが、ジェシー・プレモンス演じる謎の兵士が登場する場面だろう。プレモンス自身の発案により採用されたという真っ赤なサングラスをかけ、得体の知れない異様な雰囲気を醸し出す兵士は、リーら主人公一行を絶望に陥れる。 一行は、戦闘服を着た兵士2人が大勢の遺体を土に埋めているところに遭遇する。兵士は銃を構えたまま、リーたちに「どういう種類のアメリカ人だ? 中米か? 南米か?」と問いかける。そして、「コロラド」と答えたリーに「そうとも。それが米国人だ」と返すと、リーらの旧知の仲であるアジア人ジャーナリストに同じ質問をしたあと、間髪入れずに彼を撃ち殺す。 増長していくヘイト、銃社会の果てを描いたような衝撃的な場面だが、ISOさんと奥浜さんは、日本で暮らす私たちにとっても「他人事」ではないシーンだと分析した。 ISO:銃社会だからこそ起きることとも思いますが、その一方で、たとえばいまだにそれがあったことを認めない人がいることも含めて、関東大震災のときに起きた朝鮮人虐殺とか、現代だと在日クルド人に向けられるヘイトの問題とか、日本でも緊急事態になったらこういうことが起こりかねないというリアリティをすごく感じました。 何者かもどういう目的かもわからないけど、ただただ憎しみを持っているという人がたくさん出てくるんだろうなということは怖く感じますよね。 アレックス・ガーランド監督にインタビューした際に、観客の多くが彼が人種差別主義者だと気づかなかったと言っていたんですね。たしかに、自分が属していないとか、関わることのない属性に対する差別にどれだけ無自覚かということは、人種だけじゃなくてもある話だと思いました。僕も出生やセクシュアリティ、ジェンダーに関することで、気づかぬうちに差別に対して無自覚なところがあるかもしれない。差別に気づいていないことは自分にもあるのかなと……。 奥浜:そうですよね。彼は、見た目だけで最初から銃殺するという意思があるんでしょうけど、「どの種類のアメリカ人なんだ?」という質問にあえて答えさせたうえで撃つんですよね。1つずつジャッジを明確にしていくという行為をみたとき、もちろん銃を持っているわけではないにしろ、分断が起きがちなさまざまなイシューのなかで、1つずつジャッジしていくことって、じつは「あれ、これやっていないか? 自分もやってしまっていないか?」という怖さもあると思いました。 自分がアメリカに行ったとき、特に南西部でみんなが銃を当たり前に持っているんだなと思いながら過ごしているとあの怖さはより身につまされるんですが、そういう遠い世界で起きていることというのもありつつ、自分の普段いる場所に持ち帰ったとき、このジャッジはしがちかもしれないということがゾクっとしたところでした。 なんかやっぱり、自分が思っていることが正義だっていう意識がどこかに自分にもあって……。 ISO、一同:ある。すごくある。本当にそうですね……。 奥浜:自分と違う考えを持っている人と喋って落としどころを見つけていくという行動を取る前に、「この人は私と違う考えかただ」ってどこかでレッテルを貼る行為を私もしていないだろうかって……。 対話がされず、「どの種類のアメリカ人なんだ?」という台詞だけで決めてしまう。人種もそうですけど、イデオロギーとか、それだけで決めてしまうという対話のされなさって、日本だけではなくてアメリカでも起きていて、多分世界中で起きていると思います。だからこの作品がこれほどヒットしているんだなと思います。
インタビュー・テキスト・撮影 by 生田綾 / インタビュー by 南麻理江