科学者・ニュートンが財産の大半を損失…世界に衝撃を与えた投機バブル「南海泡沫事件」「チューリップ危機」はなぜ起きたのか
◆球根バブル 多くの歴史家が史上初の投機バブルと見る17世紀のチューリップ危機は、オランダ人のガーデニング熱の高まりに端を発している。 当時最も注目され、人気を集めた植物が(中央アジア原産の)チューリップで、コンスタンティノープルから運ばれてくる球根は北ヨーロッパの寒い冬にも耐えられるというメリットがあった。 徐々にアムステルダムをはじめ各地の上流階級の庭にチューリップが植えられるようになった。庭師はチューリップ同士を掛け合わせて、新たに色鮮やかな縞模様の花を生み出した。商人は品種ごとの球根の価格リストを作成した。 フランスを中心に需要が拡大し、価格が高騰したことから、1636年にはアムステルダムにチューリップ取引所が設立された。翌年にはとりわけ評価の高かった球根の価格が控えめな家を一軒買えるほどになった。事態がおかしくなったのはそこからだ。 スコットランドのジャーナリスト、チャールズ・マッケイは1841年に出版された著書『狂気とバブル──なぜ人は集団になると愚行に走るのか』(3)のなかで、当時の逸話をいくつか報告している。 ある水夫は船長の机の上にあった「センパー・アウグストゥス」という珍種の球根を小さな玉ねぎと思い込み、うっかり食べてしまった。「球根の値段は乗組員全員の1年分の食費を賄えるほどだっただろう」とマッケイは書いている。うっかり者の水夫は刑務所に送られた。 1637年には天文学的価格になった球根の新たな買い手を取引業者が見つけられなくなり、球根の価格が下落しはじめた。在庫を抱えていた投機家は一文無しになった。それまで安全な投資先だった球根の価格暴落はオランダ国民に衝撃を与えた。
◆ウォール街大暴落 過去数世紀の金融本のページを繰(く)れば、鉄道から鉱山会社、不動産、ビール、果ては19世紀末の自転車メーカーまで、何十という投機バブルの事例が出てくる。 そのなかでも最も重要なのは、1929年のウォール街大暴落につながった数年におよぶ信用投機だ。 それはアメリカ経済への不信につながり、ドミノ倒しのように数百万人の身を滅ぼし、大恐慌の呼び水となった。 ニューヨーク証券取引所に上場していた企業の価値は4年で56%下落した。 それから100年近くたった今でも、このバブル崩壊の事例は世界の金融関係者を惹きつけてやまない。 ・参考文献 (1)Andrew Odlyzko, “Newton’ s financial misadventures in the South Sea Bubble,” Notes and Records, August 29, 2018. (2)同上。 (3)Independent publication, 2021.(『狂気とバブル──なぜ人は集団になると愚行に走るのか』チャールズ・マッケイ著、塩野未佳、宮口尚子訳、パンローリング、2004年) ※本稿は、『年1時間で億になる投資の正解』(新潮社)の一部を再編集したものです。
ニコラ・ベルベ,土方奈美