カルトかハーレムか「イエスの方舟」の"真実"描いたドキュメンタリー映画公開 若き監督が"方舟の地元"で語る
来場していることに気付いていない人もいました。どうやって過ごしてきたのか、肉声を聞けたのはすごくうれしいことでした。どういう団体だったのか、実は僕らもわかっていないんじゃないかと思います。 千石恵さん:どこまでも私たちは「聖書を勉強しているグループ」であって、教祖がいて、狂信的にみんなが信じているわけではありません。映画の中でも、「人生でキリストのことをやっぱり一生懸命学ばなきゃいけない」と父が言っておりましたけれども、聖書を勉強するということと、いわゆる宗教とは違います。だから、父が亡くなったからといって、みんなが後追いをするというようなことは絶対なかった。私たちの信念は変わりませんので、ただ、誰かがまとめ役にならなければいけないので、今は母がまとめ役。前は父が「おっちゃん」と言われていましたが、今は母が「おっちゃん」と言われています。 母の千石まさ子さん(91歳)も会場に来ていました。お元気で、お店では自ら歌も披露しています。ほかの女性たちも、ごく普通の人だなという印象でした。 ■「囚われずに表現」と佐井監督 佐井さんがドラマ制作に携わっているので、映画は、非常にスタイリッシュ。作り方で意識したことについて、聞いてみました。 神戸:かなり、ケレン味のある作り方をしていますよね。例えば、現在の「方舟」の皆さんの映像が少し彩度を落としてあって過去の映像のような色彩になっている後に、古い資料映像が鮮明なカラーで来たりとか。 佐井大紀監督:さっきの多面性の話じゃないですけど、過去と未来、過去と現在ももちろん、映像的なフィルムとデジタルとか、いろんなことがとにかく多面的で、時間と空間というものを行き来しながら物語っている映画なんですよね。かつ「イエスの方舟」の皆さんは、見方次第でいろいろな捉え方ができる。記者の見方、社会学者の見方、女性作家が見る形だと、全部違うと思うんです。 佐井大紀監督:でも、結果的にはよかったな、というか。やっぱり、「飽きさせたくない」とものすごく思ったんですよね。ドキュメンタリーって、事実を正確に誠実に伝えるところに囚われてしまって、そもそも本当にそれを伝えるんだったら文章でいいじゃないか、なぜ映像メディアで音声もあるものでやるのか、というところをついつい忘れてしまいがちな瞬間がある。映像表現としてやることの意味を考えながら、同時にお客さんに飽きさせない、ずっと見ていてもらえるようになることを、すごく意識してやりました。