野党は何を恐れていたのか――地底から「家の空気」・天上から「個室の大衆」
第25回参議院選挙が21日、投開票されました。自民、公明の与党で改選議席の過半数を上回りましたが、日本維新の会などを合わせた「改憲勢力」は、憲法改正の国会発議に必要な3分の2には届きませんでした。選挙区の投票率は48.80%で、過去最低だった1995年の参院選(44.52%)以来、24年ぶりに50%を割り込む結果となりました。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、このような盛り上がりを欠いた選挙戦について「長雨のよう」と指摘します。その要因はどこにあるのでしょうか? 若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
長雨のような選挙戦
これだけ雨が続いた夏も珍しい。心の中も湿ったが、参議院選挙戦もすっかり湿ったようだ。 一昨年の衆院選では、本欄に「安倍解散vs小池劇場」と書いた。小池百合子・東京都知事が都議選圧勝の余勢をかって企てた「希望の党」によって選挙戦は乱高下、良くも悪くもめまぐるしい展開を見せてマスコミも大いに盛り上がったのだが、今回は争点がハッキリせず、議論が白熱しない選挙となった。見方を変えれば、あの衆院選の結果としての野党分裂の影響がまだ続いていて、その余震のような選挙だったのかもしれない。 しかし参院とはいえ、国政選挙である。政変とまではいかずとも、国民の一票が政策の方向を変えるチャンスではないか。なぜこれほど議論の盛り上がりに欠けたのだろう。
争点の多い政権のはず
年金や消費税などは、どの党がやってもそううまくいくものではない。つまり日本のような一体性の強い社会では争点になりにくいのだ。しかし現在の安倍政権は、政策それぞれに賛否両論はあるとしても、国家の選択としてそうとうのことをやってきたので、争点の多い政権であるはずだ。 解釈改憲といわれる安保法制、出口の見えない景気刺激策と財政赤字、森友加計問題と官僚の忖度による文書改竄、本当にあるかもしれない憲法改正、トランプ大統領との親密ぶり、中国への対応、ロシアへの対応、北朝鮮への対応、イランおよびホルムズ海峡問題、そして最悪の状態に陥った韓国との関係など、いずれも日本社会の根幹に関わるものだ。にもかかわらず、そういった問題がほとんど論じられなかったのである。戦後の平和民主主義を支えてきたはずの野党とマスコミが、ここぞとばかりに大論戦を展開しなかったのはどうしたことか。 テレビに出てくる野党代表者は、国家の根本姿勢に対する政見を求められると、何かグズグズ言って、ハッキリとした意見を示すことがない。たとえ時代の変化があるとしても、たとえ現時点で大向こうの賛同を得られないにしても、政治家としての基本的な思想信条を堂々と述べるべきではなかったか。 彼らは何を恐れていたのだろうか。