野党は何を恐れていたのか――地底から「家の空気」・天上から「個室の大衆」
国民が望んだのは「身を切る改革」
『老子』には「人々にあまり意識されないのが最上の王であり、次が親しまれる王であり、その次が畏れられる王であり、最低が侮られる王だ」という意味のくだりがある。現代の民主主義にはどうかと思われるが、ポイントは突いていよう。企業のリーダーにも当てはまるかもしれない。その考えに従えば、政治がうまくいっているときは、人々が為政者のことをあまり考えないので、選挙も盛り上がらないことになる。 たしかに、誰もが声高に天下国家を論じるときは、国家の危機であることが多い。安心して仕事に専念できる政治的平穏はありがたいものだ。しかし今の状況はそれとは違う。戦後の平和民主主義が大きく舵を切ろうとしているとき、なぜかこの国の政治議論は高まらない。静かなるターニングポイントである。逆にいえば、国民が、政治家やマスコミの議論に期待していないということでもある。 今回の選挙の結果として日本維新の会が議席を増やしたが、これは国民が「(政治家の)身を切る改革」を強く望んでいるということの表れだろう。今の日本は、人口も経済力も縮小しているのに、公的機関だけがバブル時代のままあるいはそれ以上に肥大している。これをスリム化するには「まず議員から」というのは正論だろう。 安倍政権は、憲法改正への道を拓くのかもしれないが、同時に「身を切る改革=議員の定数と報酬の削減」をもって、花道とすべきではないか。