《ブラジル》日本の敗戦と「勝ち負け」抗争 《下》 裁判で国外追放や禁固刑はゼロ
迷信、詐欺、犯罪
このように情報不足の環境の中で様々な迷信が普及され、その上日本の勝利は確かだという誤った情報を広めようと、超国家主義的組織が形成され始め、中には軍事的特徴を持った組織まで現れ始めた。更に、新たに拡大した帝国の強化に継ぎ、日本の統治下となった新天地を植民地化するために本国に戻って協力しようという話まで飛び交った。 一部の移民の行動や言動はブラジル人側から益々反発を呼ぶようになっていた。一部の新聞はブラジルの公益に反する行為をとったとみなされる日本人移民に対し、戦争犯罪者として死刑判決が下されるべきだと報じていた。帝国陸軍中佐まで上り詰めた旧日本軍人の吉川順治が日本人農民に対し妨害行為を行ったとして、治安維持のため1944年9月から45年11月まで投獄された。 1945年6月―沖縄での悲劇的な敗戦(24万1686人の死者の中、14万9千611人が沖縄の民間人、「平和の礎」、2022年現在)の後、8月には広島と長崎で原子爆弾の投下、次いで8月15日の天皇詔勅(玉音放送)による日本の降伏宣言、そして米戦艦ミズリー号艦船上における帝国日本政府(全権代表重光葵)の敗戦条約への署名等のニュースはポルトガル語の新聞で発表され、ポ語の読める者はともかく、正しい情報を得たブラジル人はそれを喜んだ。
しかし日本人移民の中にはポルトガル語で書かれた現地の新聞を読める人はまれで、そのニュースはほとんどの人に届かなかった。 1942年に日本との国交を断絶し、1945年6月6日に宣戦布告したブラジルに天皇陛下から臣民向けの日本の降伏を告げる公文書が届いたが、第三国の外交官を巻き込んだ英語版であった。日本語版が届くにはかなりの時間がかかり、さらに遠回しに書かれた文章は敗北や降伏を明確に表現しておらず、ある一節では天皇が臣下の苦しみを認識し、「耐え難きを耐えよ」と伝えていた。怪しげな解釈の余地があった文章だけに多くの移民はそれを嘘だと考えた。 これらの移民たちにとっては、日本は戦争に負けたわけではなかったのだ。それどころか、日本はきっと勝利し、東アジアをはじめとする全世界にその力を示す準備に取り掛かっているのだと信じ切っていた。それはまさに、研究者の斉藤広志氏と前山隆氏が表現したように、「delusão coletiva(集団妄想)」であった。ポルトガル語のHouaiss辞書によるとdelusãoとは、「欺く行為やごまかし、策略」という意味であり、心理学では「深刻な感覚障害」、精神病理学では「理性や現実との対峙を嫌う慢性的な譫妄」を意味する。