ロッテ鳥谷敬が引退発表…あの日語った切実な言葉と虎OBからの「指導者として阪神に戻せ」の声
「あと何年(現役を)できるかわからないし先が長いわけでもない。自分がしっかりと納得した形で野球人生を終えられるように現役続行を選択した」 他球団への移籍を希望したが、獲得に乗り出す球団はすぐには現れずに2020年のキャンプ期間は自主トレをして過ごした。「どこもなければ引退」と悲壮な覚悟を固めていたが、現役時代から自主トレを共にするなどの親交があり鳥谷の野球に取り組む姿勢を「日本で一番練習する男」と評価していたロッテの井口監督が、救いの手を差し伸べて3月に入ってから電撃移籍が実現した。 1年目は42試合出場で、打率.139に終わり、今年も32試合、打率.170と戦力にはなれなかったが、ベンチを盛り立てて若手をサポートし、代打や走塁で存在感を示すなど”第2の戦力”としてチームをバックアップした。阪神で共にプレーしたことのある、当時の今岡2軍監督は「朝、球場にきて帰るまで、鳥谷がいることだけで若手に化学反応を起こしている」と、歴代2位となる公式戦1939試合連続出場を果たした“鉄人”の存在意義を評価していた。 なによりスポットライトを浴びる場所をずっと歩いてきた鳥谷にとっては、本当の意味での野球の楽しさと深みを知る大切な2年間になったことは間違いない。 今でも忘れられない言葉がある。 阪神では常にマスコミに囲まれ続けてきた鳥谷はロッテのファームで記者が誰も取材に来ないという日々を経験した。それを寂しがるどころか「野球をやれるありがたさをタイガースでやっていたら感じられなかった」と切実な本音を打ち明けたのである。 そしてイースタンリーグの巨人との試合で放った1本のヒット、さばいた1球の内野ゴロ、2塁を狙ってアウトになったひとつの走塁について、こと細かに狙いと意図を説明した。巨人の若林が追い込まれた後におっつける傾向があることを読んで1歩動いたショートでのポジショニング、本塁打を打たれた後の戸郷の失意が強気の配球に変わるという投手心理を見透かして強く振ったスイング、そして審判のストライクゾーンのクセを見極めての判断など、たった1試合の走攻守における深い考察を聞いたときに、鳥谷の野球観と、その野球理論の質がよくわかった。 鳥谷の18年間を支えたのはストイックな努力である。2013年にWBCの代表に選ばれた際には、準決勝を戦うためにアメリカ・サンフラシスコに到着するなりフィットネス施設の場所を調べて午前中からトレーニングをして当時の山本浩二監督らスタッフを感心させた。