引退か移籍か。阪神の鳥谷への「今年で辞めて下さい」“引退勧告”は暗黒史を彷彿させる不手際
阪神の鳥谷敬(38)が29日に球団から“引退勧告”を受けていたことが30日、明らかになった。関係者の話によると甲子園球場内で鳥谷との会談に臨んだ揚塩球団社長が、「今年で辞めて下さい」と引退を勧告、来季の戦力外であることを伝えた。鳥谷は返事を保留したが、今後の選択肢は、引退か、他球団移籍か、の二社選択となった。鳥谷は、クライマックスシリーズ進出を狙うチームの戦力としてベンチ入りしながら大事な野球人生の問題を考えねばならない状況に追い込まれた。5年の大型契約の最終年、今季の打率.208、打点ゼロの成績を考慮すると年俸とのバランスから戦力外は致し方のない判断かもしれない。だが、阪神で16年プレーした生え抜きの功労者に対し何の“根回し”もなくいきなりの“引退勧告”という球団の手順は間違っている。かつて暗黒時代と呼ばれた1980年後半から1990年代にかけて球団フロントの不手際でスター選手の去就を巡ってトラブルが起きるケースが目立ったが、悲劇が再燃しようとしている。
「今年で辞めて下さい」
忘却の彼方にあった阪神の暗黒史が蘇ったかのようだ。球団は、結果的には雨天中止となった29日の中日戦前の甲子園球場内で鳥谷と会談の席を持った。球団からは、揚塩社長、谷本副社長兼本部長、嶌村副本部長のフロント幹部3人が出席。揚塩社長が「今年で辞めて下さい」と、生え抜きの看板スターとして阪神で16年間プレーし、通算2000本安打、NPB歴代2位となる連続試合出場記録を作った功労者に対して、何のリスペクトもないストレートな言葉で、事実上の戦力外通告となる“引退勧告”を行ったという。 おそらく鳥谷は驚いただろう。当然、その場での返事は保留した。 これが「自分で出処進退を決めることができる数少ない選手への丁寧な対応」なのだろうか。 しかも、この事実を引退勧告、戦力外通告として日刊スポーツにスクープされた。マスコミ多数の阪神や巨人では、このような具体的なアクションを起こしてしまうと、当然、情報が洩れる。メディアは、あらゆる網を張って、必死にそれを探っているのだから表に出るのは致し方ないこととは言え、あまりに無防備。 勝負の世界ゆえ、結果と年俸が釣り合わない選手の戦力外にするのは当然の成り行きだが、問題は後手、後手を踏んでいる球団の姿勢と手順、そして、この会談を持ったタイミングだ。 鳥谷が神宮での今季最終戦となる25日のヤクルト戦後に「これが最後になるかも」と発言したことで進退問題がクローズアップされた。谷本副社長は、敏速に対応し、鳥谷と今後について話し合いを持つことを公言したが、実際に行われたのは、話し合いではなく“引退勧告”。しかも、3位の広島と3ゲーム差でCS出場権を争う中で、伝統の巨人戦を前にして行った。 なぜ今?というタイミングである。 30日には、電鉄本社で役員会が開かれ、球団の定例報告が行われた。おそらくその役員会で鳥谷問題の現状を報告するために、このタイミングだったと思われる。 鳥谷の心情もチーム事情も関係なかった。鳥谷の球歴に敬意を払うのならば、去就問題への対応は、もっと前の段階に行い、ソフトランディングすべきだったのだ。 過去に阪神は大物スターの引き際にトラブルを繰り返してきた。1988年には、村山実監督に“不安分子”として扱われ、嫌われた掛布雅之氏が「個人の問題でこれ以上チームに迷惑をかけられない」と、突然、監督室を訪れ、村山監督に引退を報告し、自ら去就問題にピリオドを打った。球団サイドは「今後も遠征に帯同して全国の球場でプレーして引退の挨拶としてはどうか」と薦めたが、そのプランを断って「辞める人間が1軍にいてはおかしい」と自ら2軍落ちを求めて、引退試合として最終戦にスタメン出場した。