シオニズムを超えユダヤ人とアラブ人が共存できる可能性を示す―ヤコヴ・ラブキン『イスラエルとパレスチナ──ユダヤ教は植民地支配を拒絶する』橋爪 大三郎による書評
◆シオニズムとユダヤ教を区別する ユダヤ教とシオニズムはまるで別もの。むしろ正反対だ。--この重大な前提から議論が始まる。イスラエル建国の裏側やパレスチナ紛争の実態、ガザ地区はなぜ徹底的に破壊されたのか。一連の疑問がするすると解けていく。 著者は歴史学が専門。一九四五年にソ連で生まれ七三年に出国、イスラエルで数カ月を過ごしカナダに移住した。ユダヤ教徒の立場でこの紛争を厳しく見つめる。 シオニズムとは何か。シオンはエルサレムの別名。同地に帰還しユダヤ人国家を建てようというナショナリズムだ。ユダヤ教を軽蔑する無神論者や社会主義者の運動で当初少数派、浮いていた。 ユダヤ教はモーセ以来の伝統ある信仰。エルサレム帰還を祈るがそれは神が許可したとき。≪群れをなし、力ずくで帰ってきてはならない≫がタルムードの教えだ。パレスチナにもユダヤ人はいた。アラビア語を話しムスリムと共存していた。そこへシオニストがやって来て、ユダヤ人に指図し、パレスチナ人と敵対し弾圧した。 シオニズムが現れたのは一九世紀末。ポグロム(ユダヤ人村の襲撃)がロシア東欧で荒れ狂った。対抗して、宗教の代わりに民族をアイデンティティにする運動が起こった。ヘブライ語を国語にし、パレスチナに移住しよう。現実離れした主張だったが第二次世界大戦後、西側諸国の支持をえた。一九四八年には一方的にイスラエル建国を宣言、現在にいたる。 シオニストは力でユダヤ人国家の独立を守ろうとする。周囲のアラブ人国家はみな敵。パレスチナ人(アラブ系)も敵。イスラエルは彼らの土地を奪い、入植し、あえて国境を定めず、パレスチナ全域を支配しようとする。イスラエルへの怨念が蓄積していく。 昨年10月7日、ハマスがイスラエルを攻撃し、民間人を殺害、人質にした。憎悪に根ざした犯行だ。イスラエル軍は拠点のガザに反撃、病院や学校を爆撃し、市街地を破壊した。数万人が犠牲となり、二〇〇万住民が苦しんでいる。 著者によればイスラエルは、遅れて来た植民地主義国家だ。パレスチナ人(イスラエルに言わせるとアラブ人)を差別する。元は非宗教的だったが、今はユダヤ人国家を「信仰」せよと国民に強制している。極右政党を含む連立政権は強硬で、パレスチナ自治政府の力を殺ぐため、反対派のハマスに肩入れしてきた過去がある。 イスラエルとパレスチナの二国家共存が、国連の提案だった。イスラエルはパレスチナ国家を認めない。西側諸国はイスラエル独立を支持。著者によれば、イスラエルのやり方はヒトラーやプーチンとそっくりだ。それを非難しない西側は二重規準ではないか。 その昔ユダヤ思想家マイモニデスは、イスラム教は≪厳密な意味の一神教≫だから、モスクに立ち入ってよいとした。アラビア語で本を書いたユダヤ人も多かった。ユダヤ教はイスラム教と融和的。ならばシオニズムさえ片づけば、パレスチナでユダヤ人とアラブ人が共存するのは夢でないのだ。 イスラエルを非難するのは反ユダヤ主義だという。イスラエルは世界のユダヤ人の代表だという。イスラエルの宣伝だ。シオニズム(イスラエル)とユダヤ人をまず区別しよう。ユダヤ人とパレスチナ人が和解できると信じよう。じっくり読む価値のある本だ。 [書き手] 橋爪 大三郎 社会学者。 1948年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。執筆活動を経て、1989年より東工大に勤務。現在、東京工業大学名誉教授。 著書に『仏教の言説戦略』(勁草書房)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)、『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『社会の不思議』(朝日出版社)など多数。近著に『裁判員の教科書』(ミネルヴァ書房)、『はじめての言語ゲーム』(講談社)がある。 [書籍情報]『イスラエルとパレスチナ──ユダヤ教は植民地支配を拒絶する』 著者:ヤコヴ・ラブキン / 翻訳:鵜飼 哲 / 出版社:岩波書店 / 発売日:2024年10月8日 / ISBN:4002710998 毎日新聞 2024年12月14日掲載
橋爪 大三郎
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