【絶版名車コラム】ヤマハ「SDR」との思い出|キャリアを重ねて、今この良さがわかるようになった
バラして組んでレストアした宝物のようなオートバイ
「蚊トンボみたいなバイクだなぁ……」 時は1987年、19歳のボクが初めてSDRを見たときの感想だ。中古のRZ250(4L3)に乗っていて2ストが大好きだったボクは「いまはSDRとしか申しあげられません」という、当時は珍しかったティーザー広告を見て〝何か〟を期待していただけに、ちょっと肩透かしを食らった感じになったのだ。 【写真はこちら】「SDR」の全体・走行シーン 原付のような車格でパワーもそれほどじゃなかったSDR。二人乗りもできなかったので、女の子とタンデムしたい下心があったボクにとっては購入候補にもならなかった。その後、仲間がSDRを購入したときも、何で買ったのか疑問だったし、借りたときもそのオモシロさがサッパリわからなかった。まぁ言ってしまえば当時のボクはガキだった。SDRのコンセプトを理解できるようなタマじゃなかったのだ。 時は流れて2004年のこと。2ストバイクの生産が続々と終了していったとき、消えてしまう前に一台は2ストモデルを手元に欲しいと考えた。狙っていたのはTZR250(1KTもしくは2XT)だったが、なかなか良い個体と巡り会えず。 そんなとき知り合いからバイクを引き取ってくれないかと連絡があった。それがしばらく乗っていないというSDRだった。「売っても構わない」と言われたそのマシンを持ち帰ると、そのまま自宅の隅っこに放置。そして再びTZRを探し、まだボクの頭の中はガキのままだったのである。 しばらくして手元のバイクを減らす必要に迫られたため、SDRを売ろうと考えた。キャブをオーバーホールしエアクリーナーを交換すると、エンジンはすぐに始動。試乗と称して夕暮れの中を走り出すと、コンパクトな車体と2スト単気筒エンジンの組み合わせがイイ感じなことに気付いた。そして信号待ちでボーッとしていると股下から伝わる「タンタタンタンタン…」という鼓動感あるアイドリングがナゼか心に染みてきた。 「オレ、これ乗ろう」 ふとそんな気持ちが沸き上がった。歳を取ったと言うなかれ。経験を重ねると趣味趣向ってのは変わるのだ。そうと決めると別のバイクを手放して置き場所を確保。あちこち乗り回しては大型バイクと違う楽しさにハマった。しかし約1年後に突然終わりが来た。ガソリンタンクがサビで穴が空いてしまったのだ。仕事の忙しさも重なり、またもや隅っこでカバーをかぶったまま放置された。 再び動かすことになったのは、ある雑誌でレストア企画をしたいと提案したらOKが出たから。難しいところはプロの力も借りるが、できるだけ自分の手で仕上げたい。そう考えたのもSDRがシンプルな構造のバイクだから。 バラしていくと、コンパクトな車体にまとめ上げた無駄のない設計に感心し、メッキのトラスフレームやスイングアームの美しさなどを再認識。「よくできているよな~」と感心するトコロも多かった。各部のサビを落として、磨いて、塗装して。穴が空いたガソリンタンクは補修して2液性のウレタン缶スプレーでペイント。今は平気だけど、また穴が空いたら先日見つけたFRP製のリプレイス品にするつもり。 エンジンもバラして組み直した。そういえばオークションで買ったスペアエンジンは、普通に段ボール箱に入れられて、宅急便のお兄さんが抱えて持ってきたっけ。そんな風に自分で全面的に手を入れたので、SDRは宝物のような存在になった。 SDRは1980年代にあった、世の中の勢いを象徴するバイクだ。割り切りすぎたコンセプトはなかなか理解されず、一時はほぼ捨て値で売られていた。それが今やけっこうな高額で取り引きされていると聞く。不人気だった頃に入手できて運が良かった。今後、手放すこともないだろうな。SDRのフィーリングは相当気に入っているし、ツーリング先で「なんていうバイクですか?」って聞かれるのも楽しいからねぇ。
横田和彦