「お年玉は全額子供に渡す」子育て歴20年のミニマリストが力説する“隠さない育児”のメリット。性の話もオープンに
死生観を日常的に話すのが良い理由
ミニマリストとして「死後の家族の負担を減らすために物を減らす」という考えを耳にする。死は避けられないものだからこそ、私は幼い頃から子どもたちに「人は必ず死ぬ」と話してきた。死生観を日常的に話すことで生じるメリットは以下である。 ◆心構えができる 「死」を連想する状況になると、死生観は話題にしづらい。当事者から話そうとしても「縁起が悪い」といって周りが聞きづらくなる。実際、私の兄が最近脳幹出血で倒れたのだが、「今夜がやまです」というドラマでしか聞いたことがない言葉を聞いてパニックに陥ってしまった。控えめに言ってあんな状況で「死」に関する話なんて無理である。 しかし、日常的に「死生観」を話していればもっと冷静でいられたと感じた。あ、兄は奇跡的に後遺症もなく回復してます。 ◆人生に前向きになる 日常的に「必ず人生には終わりがある」と話していたら、我が子たちは先に待つ「死」に対して恐怖が少ないように感じている。「前世も来世もない。死ぬと人は【無】になる」。こう話せば、やり直しができないのが人生で、その1回を真剣に生きようと思ってくれる。親の私からすれば大きすぎるメリットだ。
おそらく亡くなった後の片付けも容易に
◆おそらく楽になる YouTubeを観ながら「今死んだら、お葬式のBGMはこれにして」。盛れた自撮りが撮れたら「今お母さんが亡くなったら遺影はこれにしてよ」。花屋さんで可愛い花を知ったら「棺桶は一番安いやつでいいから、この花飾って!」。免許更新のたびに「臓器提供全部丸してるからね」。 その度に我が子からは「こんなロックをBGMにしたら参列する人びっくりするで」「美白加工した画像って遺影にしてええの?」「安い棺桶ってよく燃えるんかな」「酒飲みの肝臓を提供するなんて図々しいで」などとつっこまれながらも、本当にカジュアルに話せている。 ここからは想像の域だが、これだけ日常的に話していれば私が亡くなった後の片付けも比較的容易だと思う。我が子たちは、「面白い母だった」というイメージだけで残りの人生を生きてくれるだろう。自分では子ども孝行だと信じている。死生観は日常から話してよし。