「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(番外編・上)~新元号「令和」決定~ 元号と古典の関係
4月1日、新たな元号「令和」が発表されました。元号は、日本だけでしか使われていない時代区分ではありますが、新聞やテレビなどで平成を振り返るさまざまな企画が行われるなど、一つの大きな区切りと捉える人が多いようです。その一方で、元号に対して否定的で「西暦に統一したほうがいい」という意見も少なからず聞こえてきます。 そもそも、人はなぜ年を数えるのでしょう。元号という年の数え方に注目が集まっている今だからこそ、人がどのような方法で年を数えてきたのか、それにはどのような意味があるのかについて考えてみるのはいかがでしょうか。 長年、「歴史における時間」について考察し、研究を進めてきた佐藤正幸・山梨大学名誉教授(歴史理論)による「年を数える」ことをテーマとした連載「ホモ・ヒストリクスは年を数える」。今回と次回は、新元号「令和」決定を受けた番外編です。
元号紀年法の長所
5月1日の新天皇即位に伴う新しい元号が「令和」と決まった。発表後、記者会見を行った安倍晋三首相は「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められている」などと説明した。 元号紀年法の良いところの一つは、「これからの時代をどのような時代にしたいか」「どのような時代になってほしいか」という願いを込められるところだ。元号紀年法が『名付けとしての紀年法』あるいは『名乗りとしての紀年法』といわれるゆえんである。 この機能は、現在、世界で使用されている紀年法の中でも、元号紀年法だけが持つ特徴だ。国の内外に向けて日本が名乗りを上げるシンボリック・アクション(象徴行為)で、象徴としての天皇にふさわしい紀年法ともいえるだろう。
なぜ元号の典拠を示すのか
安倍首相は元号発表後、「『万葉集』から引用した」「歴史上初めて国書を典拠とする元号」などと語った。 私は「なぜ元号は漢字二文字で新たに造語するのではなく、古典から引用するのか」という質問をたびたび受けるが、そんな時、いつも「自分たちの国や文化のルーツを再確認し、日本人としてのアイデンティティーを確立することが重要だからである」と答えている。 古典とは普通、50年、100年の単位ではなく、500年、1000年の単位で読み継がれてきている書物のことをさす。この点で、日本最古の和歌集である『万葉集』は約1200年間読み継がれてきており、古典中の古典といえるだろう。日本人の多くが学校の古典の時間などで『万葉集』に親しんでおり、当然、中国の古典よりなじみがある「日本人にとっての古典」といえる。 「初春令月、気淑風和」という漢文表現を、「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぐ」と書き下し、そこから令と和の二文字をとって名付けた「令和」は、実に雅趣に富む言葉で、平和を希求する日本にとってふさわしい元号名だと思う。