「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(番外編・上)~新元号「令和」決定~ 元号と古典の関係
新元号「令和」の典拠
この新元号「令和」の典拠は言うまでもなく『万葉集』であるが、中国の詩文集『文選(もんぜん)』に収録されている張衡「帰田賦」の中の一節「仲春令月、時和気清」を踏まえたもののようである。ただ、由緒ある漢籍の表現を踏まえて文章を書くのは、当時ではむしろ学識を示す知的な表現方法であった。清少納言の『枕草子』にある「香炉峰の雪」のエピソードを思い出してほしい。 新元号の考案者が、典拠を『文選』とせずに『万葉集』としたことは、同じ漢文でありながら、日本の古典を机上に置いて、元号を考案した様子がうかがえて、感慨深いものがある。と同時に、この新元号は、期せずして、日本だけでなく、中国まで含めた東アジア漢字文化圏の英知の中から生まれるべくして生まれた新元号名だということもできるだろう。
古典は変化しつつ伝承されてゆく
古典というものについてもう少し考えてみたい。 私は「古典とは、向こうからはやってこない」とよく口にする。そして、「自分たちが積極的に求めてそこから英知と希望と、そして歴史的アイデンティティーを得るもの」と述べる。 どういうことか。それは、つまり、そのままでは理解できない詩歌などを、その時代その時代で理解可能な表記に変換することを重ねるという行為によってその伝統を継承している、ということである。 「令和」がその序文からとられた、『万葉集』梅花歌三十二首の最初の和歌が、どのように書き継がれてきたかを例に説明しよう。 (1)武都紀多知、波流能吉多良婆、可久斯許曽、烏梅乎乎岐都々、多努之岐乎倍米 (2)むつきたち、はるのきたらば、かくしこそ、うめををきつつ、たのしきをへめ (3)正月(むつき)立ち、春の来(きた)らば、かくしこそ、梅を招(を)きつつ、楽しき終(を)へめ (4)年毎に、春が来るたび、このように、梅を迎えて、歓を尽くそう (1)は1200年前の表記(新日本古典文学大系『萬葉集(一)』(岩波書店、1999年)、466ページより引用)。(2)は江戸時代のひらがな表記(橘千蔭『万葉集略解』巻第5、(東壁堂永楽屋東四郎等、文化9(1812)年)、第12葉より引用)。(3)は現在の漢字かな交じり表記(武田祐吉『増訂 萬葉集全註釈 5 本文篇 3(巻の4・5)』(角川書店、1957年)、433ページより引用)。(4)は現代の口語訳表記である(井村哲夫『萬葉集全注』巻第5(有斐閣、1984年)、93ページより引用)。 正直なところ、訓練を受けた者でなければ(1)を読むのは難しいが、(2)のひらがなと(1)の漢字の音読みとが一対一対応していることを発見すると、日本人ならば誰もが「なるほど」と膝を打って納得してくれるはずだ。そして、(3)を見て、「睦月(むつき)」という一月の伝統的漢字表現を思い浮かべるに違いない。 (1)は万葉仮名であり、表意文字である漢字を表音文字として使用するという日本人の画期的な発明である。あるいは、視覚文字である漢字を聴覚文字として使用する発明ともいえる。 (2)は万葉仮名からひらがなが発明された後の江戸時代の万葉集の注釈書にみられる表記である。 (3)は現在の漢字かな交じり文による表記である。 (4)は現代語訳である。 このように、書かれたときのまま、まったく手を触れずにいるのではなく、表記などを理解できる形に変えていくことで、古典は古典となっていくのである。